下総地域警備保障6話

「怪我はもう平気なの」

重苦しい車内の空気に耐えられず口火を切ったのは私だった。

「問題ない」

一言二言答えるだけで、ほとんど会話になっていない。確かに以前から口数は少ない方ではあったが。さっきからしきりにカーナビをいじったり、座る位置を直している。

「なぜ戻ってきた」

「え・・・」

「一度も連絡をよこさないから、もうここを忘れたと思っていた」

「(兄さんも連絡くれなかったよね)」

姉の死後、逃げるように家を飛び出して留学した。狭いコミュニティ、不毛な格付け、外面しか興味を示さない人々、もともとこの町が嫌いだった。いや、日本が嫌いだった。なんの因果か日本文化を象徴するような和菓子屋の老舗に生まれた境遇を呪ったこともある。
そんな中で、裏表なく受け入れてくれた優しい姉だけが救いだった。夜が更けるまで学校や家の愚痴を聞いてもらった事も一度や二度ではない。姉がいれば不器用ながらも生きていけると思っていた。だが、姉は命を奪われ、私は日常を失った。

「心境の変化ってやつよ。向こうでやってた仕事もひと段落ついたし」

閉塞感の無い世界を夢見て日本を飛び出したが、結局はどこも似たり寄ったりだった。それぞれの国でローカライズされているだけで、それは社会性動物が構造的に持っている欠陥に起因する問題だ。コンピューターシステムや免疫系のように、バグは排除されるようにできている。捨てたつもりでいたが、バグは私の方だったわけだ。

向こうに渡って数年間、脇目も振らず机に向かった。一人でも生きていける強さが欲しかった。大学の席次が年収に比例するとも言われる世界で、幸い成績は上位だった。辛い時は、姉が掛けてくれた言葉を思い出した。模試の結果が全国ランキングに乗った時は自分のことの様に喜んでくれたっけ。

姉には婚約者がいた。それが今横にいるこの男だった。いつからだったか思い出せないが、うちで修行していた菓子職人だ。愛想は悪いが腕は確かで、ゆくゆくは店を任されるだろうと噂されていた。いつもの仏頂面が、姉と話す時ほころんでいたのが印象に残っている。

そんな義兄だったが、事件以降笑みは再び失われた。以前の不愛想さに、怒りと憎しみが加わり、鬼の類のようだった。お互い顔を合わせることはあっても一言も言葉を交わすことは無い。居るだけで無言でお互いを傷つけあっていたようなものだ。いたわり、慰めの言葉を掛け合えたらよかったが、今にして思えば、私も義兄も姉さんに依存しすぎていたのだ。

ほどなく、私はアメリカに発ち、溝が解消されぬままとなっていた。

「寿司と天ぷらとラーメンが食べたいって言ったのは私だけど・・・」

「ふつう帰国のお祝いで回転ずし来る?」

「最近の回転ずしは寿司も天ぷらもラーメンもうまいそうだ。カツヤが言っていた」

「はいはい、どうせ私は回転ずしがお似合いな安い女ですよ(誰だよカツヤって)」

「帰国子女でMBA取得のな」

思わず片ほうの眉を上げる。私が出て行ったころ兄さんだったら今みたいに茶化して返したりしてくれなかった気がする。表情には出ないが声のトーンも優しかった。

「(え、回ってないじゃん)」

新幹線やらF1を模したカートに乗って、寿司やラーメンがレールを走って次々とやって来る。天ぷらはしっかり揚げたてだ。

「(あ、うまいわコレ)」

デザートにプリンまで食べて完全に最新回転ずしを堪能した。


「はーい、君たちー、解散しなさーい。警察呼んじゃうぞー」

咥えタバコで茶髪の男がけだるそうに呼びかけた。カツヤだ。中学生か高校生か分からないが、気合の入った男子が数人たむろしている。その中心の二人は胸倉をつかみ合って恫喝し合ってるのだ。

「ケンカはやめて、お家に帰りなさ―い。警察呼んじゃうぞー」

ぷかぷかと煙を吐き歩み寄る。今時ケンカなんかやる奴いるのな。少し感心した。一応ポケットから手を出してフリーにした。

「うるせーおっさん!お巡りのお使いでもしてな!」

「関係ねーだろ!引っ込んでろ!」

「おっさんと呼ぶのもやめなさーい。まだ28だ。警察呼んじゃうぞー」

若干カチンときたので声が大きくなった。心拍数が上がっていくのが分かる。それとは反対に、深呼吸と共に吸い込んだ紫煙で頭は冴えわたっていく。

「邪魔すんじゃねーって言ってんだよ」

二人のうち片方が殴りかかってきた。

「アブね!」

大ぶりなテレホンパンチ!すかさず右の軸足を掬い蹴り転倒させる。しりもちをついて倒れた。もう一方もパンチを繰り出す!プッとタバコを吐き捨て、ティーソーク(肘打ち)の要領で左ひじでパンチを払い、そのまま前方に掴み倒した。次々に殴りかかって来る男子学生達を捌く。二人連続で軸足蹴りで転倒させると、最後の一人をかかと落とし!の変形で膝を相手の肩にひっかけ、全身のばねで背中側に押し倒した。

「帰れっつってんだよ。ソシャゲでもしてろシャバ僧が」

学生たちの去る影が長く伸びているのを見ながら新しいタバコに火をつける。アドレナリンにより臨戦態勢に入った直後のニコチンは血管を締め付け、いやに頭をガンガン叩く。

「また怒られますよ」

ルーキーが先の戦闘で落としたタバコを摘まんで、地面にこすり付ける。

「何が怒られるだ、テメーどこ行ってやがった!ガキ相手にビビってんじゃねーぞ。研修になんねーだろが」

コノヤロー、OJTでパトロールの実地研修中にもかかわらず、不良集団に近づいていく途中でどこかにバックレやがった。

「立ションしてて、はぐれて探してたんですよ」

「電話番と居眠りの区別もつかんようなボンクラ、またの名を給料泥棒。そのようなでくの坊を地域の皆さんのお役に立てる漢の中の漢に仕立て上げてやろうというのだ、気合を入れたまえよチミ!」

「ちょっと、煙吹きかけないで下さいよ。タバコ嫌いなんで。あとその言い方もムカつくんでやめてもらっていいですか?」

「なんだよチミ―、軟弱か?・・・お、なんか外人がいるぞ。迷子かな?」

「先輩、ちょっと待って・・・」

まだ日暮れ前で、ついてるかどうかよく見ないと気づかないぐらい薄っすら灯ってる街灯の下に三人浅黒い肌の外人が立っている。

「よ―どうした?アイドンスピークイングリッシュ!?」

手を振りながら近づくと男たちは一斉に顔を上げた。手には手斧や鉈が握られていた・・・


「食べ過ぎてしまった」

いくら向こうのSUSHIと同姓同名の魔界料理がひどいのは言うに及ばずであるが、食べ過ぎてしまったのは日本食の懐かしさの為だけではないだろう。タブレット端末でワンタッチ注文、即配膳のスピード感。塩梅(塩と酢)、甘さ苦さ、温冷を巧みに織り交ぜた味の3D感。飽きさせない工夫に腐心している。
これは新商品開発のイメージに使えるかも。

「待たせた」

待機ソファーに頬杖ついて企みをしていると、レシートを持って正一郎が戻っきた。ピッとレシートを取り上げる。

「やっす、ニューヨークならこの五倍は掛かる」

「そうなのか」

「そうよ」

私の後を兄さんが付いてくる形で店外へ出た。

「嫌だったか、こういうとこ」

「どうして?」

「さっきから難しい顔してる」

「まあ初めは、えって思ったけど、案外おいしかったわ。それに嫌ならあんなに食べてない」

指の間に挟んだレシートをパタパタいわせる。

「腹が減っていたのかと」

「はあ?私そんな大食いキャラじゃないんですけど!?」

「いやそういうつもりじゃ・・・」

兄さんは口ごもって黙ってしまったが、幾分か表情の強張りが和らいだ様に見えた。
車のロックを開けて二人とも乗り込んだ。正一郎はキーをイグニッションに入れて、すぐに切った。私の方を見ると改まって、

「・・・お前を一人にして悪かったと思ってる。あの時、俺は・・・」

「うん。いいの」

ずっと緊張してたのは、それを言うタイミングを伺ってたのか。

「帰りましょう」

車はテールランプが作る列に加わって岐路に着いた。


「危なかったですね」

「外人が逃げ込んだ民家がまさか、ボスのアジトだったとはな」

パトカーと救急車が次々に容疑者をピストン輸送していく。日は沈み、回転灯の赤い光が古民家の趣深い板塀を舐める。見慣れた光景だ。

「あちゃ、早速傷つけちまった」

先日の事件で凶悪犯との格闘では、『通常警ら装備』の防御性能不足が露呈したため、制服のカスタマイズが進んでいた。各所に装甲が取り付けられるスロットが設けられている。現在はHDPEとシリコンポリアクリルアミドの複合アーマープレートが挿入されているが、犯罪者の脅威度が極限まで増した時には防弾アーマーを装備することすら可能だろう。
黄色の防刃服に白っぽいアーマーが要所に配置されたカラーリングはリクガメを思わせた。

「婆さんが鎖鎌ぶん投げてきたときはさすがにブルったわ」
「逃げるのに全力だったんで助かりました。下手に受け止めてたら危なかったかも・・・」

鎖が硬直する鎖鎌(後に例の血に反応する物体の磁力によるものと分かった)を手にお婆さんが襲い掛かってきた。得物は触れた物に巻き付き、パイプカッターがごとく切断する恐ろしい武器である。カツヤの機転で、その特性を逆手に取り、寸前で躱して鎖鎌婆自身を庭の植木に巻き付けて捕縛することに成功したのだった。

ルーキーが防刃装備の傷をなぞるように撫でている。チンピラ外人の斧の一撃を払った時の衝撃でまだ痺れが残っているのか。

「ビビッて逃げる癖がなんとかなればなー、お前も中々いい線言ってると思うんだけどなー」

雑魚とのタイマンなら遅れをとることはあるまい。気持ちで負けなければ。命のやり取りは、肉体面よりもむしろ精神面がものを言う。それが凶悪な殺気を放つ相手との戦いならなおさらだ。『逃げればいい』そう人々は軽々しく口にするが、実際に必要な行動を取れる人間は少ない。蛇に睨まれた蛙と化し、呑まれた者達をたくさん見てきた。

「死ぬかと思った・・・」
「慣れ慣れ!お前見込みあるよ!いい後輩が入って俺も気が楽だ!」

おーい!パトカーの横から手を振る人影がある。

「さーて、バトルのついでにこっちも慣れとこうか・・・」

「こっちこっち、こっち来てお話聞かせてよ!」

恒例の事情聴取タイムが始まった・・・


暖簾をくぐり、厨房を覗く。毎日念入りに清掃し、消毒剤も撒いているがそれでも水飴の甘い匂いが残り続けている。三代続く和菓子店が練り上げた歴史の持つ甘みが積もっていると言ってもいい。

「おお!お帰り!」
「ただいま」
「背伸びたか!?」
「1㎝も変わってないけど」

父さんの職人特有のやたら大きな声は、やはりまだ苦手なままだった。今こうして暖簾を超えて厨房に足を踏み入れられないのも、幼い時に店の入り口から厨房に入ろうとして激しく叱りつけられた事を忘れていないからだ。

「むこうでいい人は出来たか?え?」
「関係ないでしょ」
「まあいい、こっちきてこれくれ食ってくれ、好きだっただろ」

琵琶餡のみごとな外郎が並べられていた。一見すると細長い芋羊羹のようにも見える。年寄りは一度うまいと言ったものをいつまでも覚えていて延々と出してくるから困る。

「先に荷物置いてくるわね」
「そうか、正一郎!案内してやれ」
「はい」

菓子職人をやめても師弟はいつまでも師弟らしかった。父と子の関係にも似ているように思う。

正一郎も厨房を跨ぐのは気が引けたようで、一度勝手口に回りそこから店舗兼自宅に上がった。

「部屋はそのままにしてありますので」
「そういうのめんどくさい」
「すいま、すまん。癖で」

職人として働いていたときは、創業一家に対しては敬語で話していた。正一郎も人前で話す時は、婚約者にすら敬語だった。そういう堅苦しさは私にとって重しとしか感じられなかった。

お前は敬意を払われるに値する人間なのだろう?家の為にずっとここにいるのだろう?

そう言われているように聞こえた。

2階につづく階段を上る。突き当りの右が私の部屋だ。左の部屋にはここを出ていく少し前から誰もいない。廊下のきしむ部分を体が勝手に避け、ドアを開け、キャリーケースを転がし入れてその上にコートを掛けた。数年ぶりの我が家は、檜の匂いで驚いた以外は、まるで時が止まっているかのように変化がなかった。

こちらの気持ちなんかお構いなしに上機嫌な父を見ていると、ここを飛び出したときの自分を思い出してしまう。こっちがどんな気持ちで帰って来たかなんて知りもしないだろう。

何が地域警備よ、皆を危ない目に合わせて。仇討ちがしたいだけでしょ!義兄さんも義兄さんよ!菓子職人辞めたと思ったら、警備員かなんかになって、誰かをブッて回って、それで大けがして!

ここよりマシな場所を求めて逃げ込んだ先には結局、何もなかった。何もなかったの。姉さんはもういないから。
でも、まだ失っていないものはある。私には家族とこの店が残されている。
もう絶対に無くさない、失わせない。

ストッキングまで脱いで下着姿になったはいいが、クローゼット内の服はもうどれも入らなくなっていた。
手間を惜しんでジャンクフードに頼りがちだったのがアダになったか、ややふくよかになってしまっている。バストサイズが大きくなったのが太ったためでなければいいのだが・・・。

ふと思い立って姉の部屋に入った。クローゼットを開けてさらに中に納まっているタンスから幾枚かの洋服を取り出しベッドに無造作に広げた。このベッドは姉さんが死んだ日に潜り込んで泣いた時のままだ。それ以来、辛すぎて近づくこともできなかったが、どうやら今は大丈夫のようだ。人は苦しみにもいつしか慣れてしまうものなのだろうか。

ベージュ色のワンピースを選んで袖を通す。姉さんがよく着ていた・・・気がするが、あまり覚えていない。少し古臭いが、ゆったりとしたデザインで今の私でも難なく着られた。

「姉さんも体型気にしてたのかな」

当時は考えたことも無かったが、聖母にも思えた姉にも悩みがあったのだろうか。当然あっただろう。少し不思議だ。

正一郎は階段に座って待っていた。すっかり忘れていたが、下着姿で廊下を横切ったのを思い出し赤面する。見られない角度だったとは思うが・・・。
こちらに気づいた正一郎の目が一瞬見開かれ、何事かを口にしたが聞こえなかった。

「着れる服がなかったから・・・」

冷静に考えたら、自分がとんでもないことをしている事に気づく。婚約者の死から数年経ちようやく心の整理がついてきたところに、姉に似た人間が姉の服を着て姿を現す。余りにも酷というものだ。

「やっぱ着替えてくる!」

こうなりゃ、ボタン飛ばす覚悟で昔のブラウスを着るしかない・・・!踵を返す。

「いや、私は大丈夫です。もう行きましょう。親父さんが待ってます・・・」

打ち解けてきたと思ったが、今度はまた変な方向に気まずくなってしまった。その後食べた菓子の味は憶えていない。


「だから、相手が先に襲い掛かって来てですね・・・。本当なんですよ。何度も言ってるじゃないですか、お婆さんが鎖鎌振り回してたんですって。いや、ふざけてないです。ふざけてないですって・・・」

「ほら、ここ傷があるでしょ?」

肘のプロテクターを指したところで目が覚めた。事務所のデスクに座っている。調書作成という名の尋問から解放されたのは、何時間経ったか、とっぷりと暗くなった後だった。流石に腹が減ったのでコンビニで買ったジャークチキンロールをかじりながら事務所に戻った(カツヤさんはチョコバナナミントロールを食べていた)。

日報を書いているうちに眠ってしまったようだ。時計は22時を過ぎている。
そういえば、カツヤさんは・・・
今開いてるページの上に書置きと鍵束が置いてある。

『疲れてるみたいだから寝かしたままにしておきます。今日はお疲れな!じゃ、戸締りよろしくネ!』

「いや起こせよ・・・」


――――――――――――――――――――――――――――――――――

よねさんうおさん
霞ヶ浦店

〈領収書〉
寒ブリ         ¥110
あおりいか       ¥110
ゲソ明太        ¥110
・・・省略・・・
野菜天盛り合わせ    ¥260
塩バジル味噌麹ラーメン ¥360
サーモン・焼サー    ¥110
タップリオレンジパフェ ¥360
瓶詰プリン       ¥260

合計         ¥4,680

税率10% 軽減税率対象外です。

またのお越しをお待ちしております

――――――――――――――――――――――――――――――――――

つづく





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?