下総地域警備保障3話

「逃げろ!」
蛇に睨まれた蛙のように呆然と立ち尽くしている少年に正一郎は叫び、一目散に駆け出した。赤い服の女はゆっくりと少年に歩み寄っている。間に合え・・・。
距離は電信柱の設置間隔一つ分だ!
赤さんが無造作に包丁を振り上げた。満面の笑みを浮かべて笑っている。
キャハハーーー!
その笑い声で少年は我に返り、肩に片方の紐だけでぶら下がっているトートバッグを掴んで突き出した!その瞬間、振り下ろされた包丁がバッグの布地を切り裂く。ザクン!トートバッグが盾のように攻撃をブロック!中身の教科書が数枚切られたものの、少年は無事だ。
束になった紙というものは存外丈夫だ。厚さによっては銃弾をも防ぐことが可能なのであった。日ごろから家庭学習をする習慣が彼を救ったのかもしれない。
「うおー!」
破れかぶれ!少年は機動隊の盾めいてトートバッグを突き出した!
赤さんの顔面をバッグが捉えた。グエッ!今まで無抵抗の獲物しか捕ってこなかった獣は反撃されることに慣れていない。たたらを踏みのけぞったのだった。
一瞬ひるんだ赤さんだったが、狼狽しながらも再びあの不気味な笑みを浮かべ、今度は確実に仕留めるために首に狙いを定め、・・・薙いだ。

少年は目を強く瞑った。

しかし、死の瞬間は訪れなかった。まず感じたのは岩の様なものに囲まられている感覚。目を開くとそれは黄色と黒色のものと分かった。
切り付けられるその瞬間、駆け付けた正一郎が少年をかばい、背中の装甲板で包丁の横薙ぎを見事に防いでいた。もし、少年が全てをあきらめて死を受け入れていたら正一郎は間に合わなかっただろう。日々課題をこなすために重い教材を持ち帰ることで鍛えられた肉体と、不屈の精神を養った家庭学習の習慣が彼を救ったと言っても過言では無い!

正一郎は振り向きざまに、意表を突く右裏拳バックブローを見舞った!しかし、拳は宙を切った。どうやったかは分からないが赤さんは僅かにバックしてこれを躱した。
「見ての通り下総地域警備保障だ。大人しく投降しろ。」
正一郎の目が怒りの炎で輝く。これはフィアンセを殺した者、右耳が欠けた者を必ず討つと決めた時の決意の目だ。全ての凶悪犯を憎む目だ。

「怪我は無いっすか?」
遅れて追いついたカツヤが少年の肩をガッシリと掴み、力強く、しかし優しく後方に引っ張っていく。
少年はまだ声を出せず、こくりと頷いた。両肩から伝わる体温が、先ほどまで恐怖で凍り付いていた心を溶かし、温かく勇気づけられていくのを感じずにはいられなかった。
「安全なところまで逃げて警察を呼ぶんだよ。男の子ならできるよな!」
少年は大きく頷いた。出会って数分も経っていないが、少年はこの二人の男のことを信頼した。なんとか報いたいと思った。ならやることは一つだ。
「頼んだぜ!」
カツヤは少年の背中をパンッと叩いた。少年の心にエンジンがかかった。一目散に大通りに走っていった。

キャハハハハハ!
正一郎は牽制攻撃で時間を稼いでいた。包丁による斬撃や刺突をガントレットの甲の部分で捌く。その合間に隙を見て反撃のフックパンチを行うも、なぜか見切られ躱される。さらに、やはり得物の違いにより間合いが数十センチ違うため、思うように戦うことができず、捌きもらした攻撃で黄色の制服が所々赤く滲みだしている。ケブラー製の服とはいえ、その防刃性は着心地、生地の身体追従性、重量とトレードオフの関係にあり、完全な防刃性を担保することが出来ない。その上、赤さんの獲物が柳葉包丁なのも始末が悪い。柳葉包丁は魚をさばくことに特化した日本刀も言え、適度な重量と鋭い刃が制服の防御力を上回ったのだった。

少年が駆けていくのを一瞥し、カツヤは正一郎の横に駆け寄った。
いよいよ本格的に戦闘開始だ。
「カツヤ、行くぞ!」
「こいつの笑い声マジむかつくんすよね・・・。」
二人はMOLLEベルトのポーチからアンカーを取り出し、ワイヤーを伸ばす。重りの一端を持ち、頭上で振り回し始める。ヒュンヒュンヒュンヒュン!

初めに仕掛けたのは正一郎だった。投げつけると見せかけ、ステップイン!そのまま勢いをつけて殴りつけに行く!しかし、見計らったように赤さんが3本の包丁を投擲!自転車のかごに入っていた予備の包丁だ。

「チッッ!」
正一郎はアンカーで殴るのをあきらめ、ワイヤーの先の重りとガントレットで飛んでくる白刃を弾きつつ前転で赤さんの横を通り抜ける形で回避した。すぐに赤さんの方に向き直り残心する。
一撃目は外したが、戦況は正一郎達側に有利となった。正一郎とカツヤが赤さんの退路を阻み、挟み撃ちにできる。
正一郎は呼吸を整え、再び頭上でアンカーを振り回し始めた。もう一度だ。

カツヤは正一郎とアイコンタクトし、挟撃の意図を組むと右目でウインクした。これは『肯定・準備完了』の意味を持つ。次はカツヤから仕掛けた。頭上で回るアンカーで赤さんを殴りつけに行く!赤さんは当然包丁で防御!
しかしこれがカツヤの狙いだ!この一瞬のスキをついて正一郎がアンカーを投擲!武器を止め、動きを止めればもはや赤さんなどただのサンドバックと化すだろう!カツヤは勝利を確信した。

キャハハハハハ!
ヒュン!
赤さんに巻き付くと思われたアンカーはそのまますり抜け、カツヤを拘束した。
「んだよ!これ!?」
「バカな!」
完全な死角からの不可視の攻撃を当たる直前のタイミングで上半身をかがめ回避したのだった。これはもう人間にできる芸当じゃない。やはり化け物だったのだろうか?

「キャハハハハハ!わたしのー!赤ちゃんが!教えてくれるんですよー!」
赤く光るイヤリングに正一郎の血でうっすらと濡れた手で触れる。
「ママ危ないよーって!」
イヤリングに塗られた血が夕日に照らされた赤い石に吸われ、一層紅に輝いているように見える。

ーーいや、それは確かに輝いているのだった!
赤さんこと、円谷幸子はある日、超常の力を持つイヤリングを手にした。元は何の変哲もないアクセサリーだったが、病気で子供を亡くてしばらくして異常な能力が宿った。赤い石が血を吸うとその異常性が発現し、聴覚が異常に鋭くなる。さらにそれだけでなく、音の3D視覚シミュレーション化が可能となり、あたかもTPS(サードパーソンビューシューティング)ゲームの主人公がごとく、俯瞰的に自分とその周辺を認識することが出来るのだ。これにより、最適な逃走ルートの選択だけでなく、直接的な格闘戦でも、その探知能力と俯瞰認知によって未来予知でもしているかのような超人的な戦闘力を発揮するのだ!

ワイヤーでぐるぐる巻きになり、身動きができないカツヤだが、その目からまだ闘志は失われていない。カツヤのアンカーは赤さんの武器を捉えたままだ。それならばとカツヤは包丁に絡まったアンカーを握ったまま倒れこんだ。
「こんにゃろ!」
全体重がワイヤーを伝い赤さんの持つ包丁にかかる。赤さんはぐらりと右側に傾く。さすがに自転車に跨った不安定な状態では踏ん張りがきかず、思わず包丁を手から放してしまった。
カラン!
軽い金属音が夕日により長い影が伸びる住宅街に木霊す。
「正一郎さん!」
カツヤが叫ぶが速いか、正一郎はまっすぐ赤さんに向けて走り出していた。
「キャハハハハハ!」
それに気づいた赤さんも大通りめがけて逃げ出す。
もはや赤さんの手に武器は一本もない。赤さんはカツヤの横をすり抜け、走り去る。
「(妙な探知力があるようだが、関係ない。ここでつぶす。)」
距離はグングン縮まる。赤さんは先に大通りに出て右に曲がり、あの耳障りな笑い声を残して見えなくなった。約5秒遅れで正一郎が角を曲がった。

グサ!

キャハハハハハ!

正一郎の脇腹に槍のようなものが突き立っている。それは傘だ!赤さんが自転車の傘立てに挿していたビニール傘だった。もちろんただの傘ではなく、芯には尖ったスチール棒がさされており、完全な凶器と化している。
狩る側の人間はまさか自分が狩られるとは予想していない。必死に追ってきて角を曲がって完全に無防備になっている瞬間を的確に狙ってきたのだ。
とても狂人とは思えない戦術に一杯食わされた。

赤さんは正一郎に蹴りを食らわし、乱暴に傘を引き抜いた。正一郎はなすすべなく道路に転がり、のたうち回っている。黄色の制服にみるみる赤い染みが面積を広げる。
「キャハ!」
赤さんはそれを見下ろしながら満足気に、赤く濡れた傘の先端を指でなぞり、血をとると耳のイアリングにまたも血を塗った。
「赤ちゃんが喜んでるわーー♪」

イヤリングの赤石が輝きだす。自分の周りから3Dスキャナーのスキャン波が出るがごとく、周囲の情景が手に取るようにつぶさに見える。さっきいた通りから男が走ってきてるわね。今度は勢いをつけて串刺しにしましょう!もっともっと血を集めてこの子を喜ばせないと・・・。
赤さんは愛しそうに、血の付いた手でイヤリングを撫でた。
一度、曲がり角から40m離れ助走距離を稼いだ。このまま塀伝いに走って5秒後、最高速に達し、奴が顔を見せたところがランデブーポイントだ。大通り故、車道側にはガードレールがあり、逃げることなど適わない。
チャリチャリとチェーンを鳴らしゆっくり漕ぎ出し、徐々に一踏みごとに力を込め加速していく。フォンフォンとタイヤが地面を掴み唸りを上げながらスピードが増す。黒い髪はたなびき、ほぼ地面と並行だ。
左手の塀に傘の先端を当て、穂先を研ぐ。シッと火花が上がった。傘の曲がった取っ手を左の脇に挟み、規則正しく束ねられた骨子を掌でガッシリと掴み固定する。さながら中世の馬上騎士だ。
あの茶髪の男は10mでランデブーポイントに着く。少し遅れている、加速!赤さんは立ち漕ぎし、さらに加速し微調整した。

あと3秒、 2、  1

「見えてるっすよ!」

「な・・・!?」

カツヤはモズの早贄のように、串刺しにされるかに思えた赤さんの傘槍の先端を掴んでいた!そのまま、勢いに逆らわず自転車の進行方向に引っ張りつつ、・・・赤さんをブロック塀に叩きつけた!

「ギャッ・・・」

赤さんを乗せた自転車は曲がり角の塀を5m当てこすり、派手に転倒した。
頭から流血し、左肩、左ひざ、左耳はブロック塀の硬くザラついた表面によって痛々しく擦りおろされている。耳のイヤリングはさっきの衝撃で外れ、どこかに行ったようだ。

「私の赤ちゃん!私の赤ちゃんがいない!私の赤ちゃん!!」
決して軽いとは言えない程の負傷を負っているにも関わらず、気にも留めずに暗闇で眼鏡を落とした人のような動きで何かを探し回っている。
その数十m先で血だるまになった正一郎が力無く横たわっている。脇腹の負傷を押さえるその手は真っ赤な血で濡れていた。

負傷した正一郎を目の当たりにしたカツヤの心は、しかし静かだった。静かに冷たい怒りの炎が燃えていた。
「赤ちゃん、赤ちゃん、赤ちゃん」
耳障りな甲高い笑い声はもうなく、明らかに狼狽し辺りを探っている。まるで本当に自分の子供を探すように。

「何が赤ちゃんだ・・・」
タッタッと数歩助走をつけ、赤さんの頭部に左回し蹴りを放った。
「死ね、キ〇ガイ女。」
横向きの弧を描き、蹴りが入る。そのまま蹴り抜け、右足を軸に360°回転し元の体制に戻った。
これはムエタイの動き、テッ・ラーン(スネで蹴る、下方)!
いや、座り込んだ赤さんの首を薙いでいるからテッ・コー・ラーン(スネで蹴る、首、下方)か!?実際のムエタイではこのような処刑技はご法度とされている。あるいは古式ムエタイが生まれた太古のタイ王国の戦乱では、戦闘中に転倒した敗北者にとどめを刺す血なまぐさい技が使われていただろうか。

タンガード・ムエイで残心し、赤さんを完全に無力化したのを確認した。いくら化け物でも、もう起き上がってこれまい。
踵を返し、正一郎の元へ駆け寄った。

正一郎の手当てをしている者がいる。出発前に事務所にいたルーキーだった。赤さんが中学生を襲っていたのを発見した段階で、アプリより警察への通報と事務所への緊急アラートを行っていた。ルーキーは現場でのバックアップと警察の誘導のため、現地に急行していたのだ。
「・・・」
ルーキーはこちらを一瞥してまた包帯を巻く作業に戻った。止血剤が添加されている軍用バンテージを力強く巻き付け、樹脂製のストッパーで止め一先ず応急処置は完了した。脈は速く弱いが、まだ心臓も呼吸も停止していない。
「正一郎さん・・・」
カズヤは正一郎の手を握った。正一郎は返事をしない。出血性のショックで意識を失っている。

程なくして到着した救急車に乗せられ、正一郎は救急病院へと運ばれて行った。ルーキーが付き添うことを申し出、救急車に同乗した。それとほぼ同時に手錠を掛けられ、赤さんも救急車に乗せられた。

赤い光とサイレンの残響を残し、戦場となった住宅地は静かに闇に包まれた。ひしゃげた自転車と凶器となった包丁、それと改造傘を警察官が調べている。それを横目にカツヤはある囁きを聞き取った。


「お母さん・・・」


赤さんに止めを刺した交差点の先に小さく赤い光を放つ物がある。拾い上げると、それは赤さんが耳にしていた赤石のピアスだった。囁きはこれから聴こえてくる様だった。

耳に当ててみる

「お母さん  」

「うわ、気持ちワリ!」

思わず耳から離した。捜査中の警官がちらりとこちらを見たが、また作業に戻った。警察に渡すべきかと迷ったがそのままポケットに入れた。捜査に必要な証拠では無いし、何か引っかかるものあったのだ。
赤さんが超常的な動きを見せた時にこのピアスを触っていたように思う。たしか光っていた?

「お手柄だったね!?」
聞きなれた声だ。あの嫌な警官が立っていた。

「来るの遅いんすよ!正一郎さん腹に穴開けられちまったよ!」
「それは大変だったね!いやー、我々も忙しくて手が離させなくてね!」
「聞き飽きたっすよ、それ。」
「悪いけどこっち来て調書書くのに協力してもらえないかな?これも仕事でね。すぐ済むから。」

パトカーの後部座席に通され、形式上の取り調べを受けた。お互い慣れたもので15分と掛からず解散した。

「正一郎君にお大事にって言っといて!」
カツヤの背中に声を掛ける。カツヤは振り返りもせず気だるげに手を振り、答える。事務所まで送ってくれという頼みは断られた。装備を回収し点検した後、徒歩で岐路についた。


ポケットの中のピアスが人の血によってその異能を授けると分かるまではしばらく掛かかった。


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特別給与支払明細
11月度
現行犯逮捕手当 ¥2、0000ー
残虐行為手当  ¥5、000-
警察協力手当  ¥5、000ー
傷病手当    ¥1,0000-

合計      ¥4,0000-
今月も地域の見守りご苦労様です。来月も宜しくお願いします。

株式会社 下野地域警備保障
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つづく





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