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連載中国史3 長江文明
黄河と並ぶ中国の二大河川のもう一方は長江(揚子江)である。かつては黄河文明が中国文明の唯一の源流と考えられていたが、近年の発掘調査により黄河文明に匹敵する文明が同時期に長江流域にも存在していたことが明らかになった。黄河文明では仰韶文化の時期に当たる紀元前5000~4000年頃、長江流域に興った文明を遺跡の地名にちなんで河姆渡(かぼと)文化と呼ぶ。
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黄河文明が畑作を基盤としたのに対し、温暖湿潤気候に恵まれた長江文明は稲作を基盤とした農耕文化であった。牛・馬・豚などを家畜とした点は黄河文明と同様だが、湿度の高い長江流域では、高床式住居が発達した。また、黒陶に加えて、漆器が作られるようになったのも長江文明の大きな特徴である。後期長江文明として紀元前3000年頃から2000年頃にかけて発展した良渚(りょうしょ)文化では、麻や絹の織物も作られたようだ。
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こうしてみると、黄河文明よりも長江文明の方が、日本の古代文化との共通点が多い。やはり気候が似ているせいだろうか。日本で稲作が始まり、高床式住居や漆器や絹織物が作られるようになるのは、さらに2000年以上も後のことであるが、そのルーツを探っていくと、長江文明に辿り着くような気がするのである。
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