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連載日本史㉛ 飛鳥・白鳳文化(4)

飛鳥・白鳳文化の舞台となった奈良・飛鳥とは、どのような地であったのだろうか。
「飛鳥」は「明日香」とも表記する。現在の明日香村は、緩やかな丘陵と里山に囲まれた、のどかな田園地域である。天武天皇の時代に置かれた飛鳥浄御原宮や、持統天皇の時代に完成した日本初の本格的な都城であった藤原京の面影はほとんど残っていないが、仏教受容の中心となった蘇我氏ゆかりの飛鳥寺や、蘇我馬子の墓といわれる石舞台古墳、乙巳の変で暗殺された蘇我入鹿の首塚、高松塚古墳やキトラ古墳など、歴史を知ってさえいれば、国家としての日本の揺籃期に思いを馳せることのできるスポットが多々ある。

石舞台古墳(Wikipediaより)

飛鳥地方に位置する畝傍(うねび)・耳成(みみなし)・香具山は、大和三山と呼ばれ、古くから人々に親しまれてきた山々である。万葉集には、中大兄皇子(天智天皇)の作として、大和三山を擬人化した長歌がある。

 香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相争ひき 
 神代より かくにあるらし いにしえも しかにあれこそ
 うつせみも つまを争ふらしき

大和三山(sotoyamaasobi.comより)

大和三山を男女の三角関係に見立てた歌である。他愛ない比喩だが、中大兄皇子自身が、弟の大海人皇子と額田王との三角関係を念頭に置いて作ったものだとすれば感慨深い。神話の世界から地続きの時代、森羅万象に霊魂の存在を見出すアニミズムのもと、山と人とは今よりもずっと親しい関係を持ち得ていたのかも知れない。天武天皇が構想し、持統天皇が遺志を継いで完成させた藤原京は、大和三山の位置関係を念頭に置いて立地されたという。残念ながら、水利や衛生、軍事や都市計画上の問題から、藤原京は完成からわずか十五年後には平城京へと遷都されることになるのだが、飛鳥の地に古代国家の礎を築いた人々の思いは、のどかな里山と田園風景の中に今も静かに息づいているのである。



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