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連載日本史㉑ 大化の改新(4)

大化の改新の基本政策を三点に分けて整理しておこう。

第一に公地公民、すなわち土地や人民の私有を認めず、すべては公のものとするという原則である。豪族の私有民・私有地であった部曲(かきべ)や田荘(たどころ)は廃止され、代わりに豪族たちには食封(じきふ)・布帛(ふはく)が支給されるようになった。つまり、自営業のオヤジたちが、国家に雇われて給料を貰うサラリーマンになったわけだ。

「日本書紀」による「改新の詔」の一部
(歴史総合.comより)

第二に中央集権的行政・軍事・交通制度の整備。地方には国司・郡司が置かれ、大陸との玄関口である九州には防人(さきもり)が置かれた。駅場・伝馬などの交通制度も整えられ、中央政府を頂点としたピラミッド型の組織が構築されていった。

第三に班田制の制定に基づいた税法の施行。戸籍・計帳が作成され、土地の広さや、そこから見込まれる収穫量などに応じて税制が定められ、兵役や労役の義務も課されるようになった。

班田収授のために作られた戸籍(歴史総合.comより)

土地と税に関する政策は国家運営の経済的基盤であり、突き詰めれば政治の在り方は、その二点に凝縮されうるのではないだろうか。聖徳太子の定めた十七条憲法と冠位十二階は、中央集権国家への基本的な方向性を示すものであったが、大化の改新はそれに経済的な裏付けを与え、次代の律令制において、古代日本の政治体制は一応の完成を見ることになる。すなわち、大化の改新は、国家運営の方針転換ではなく、前代から受け継いだ中央集権国家建設への流れを更に強化し、加速させたものだと言えるだろう。

改革には少なからず痛みを伴う。既得権益層である地方豪族たちからの強い反発もあっただろう。それを抑え込んで、急速な権力の集中を図ったのは何故か? その背景には、激動する国際情勢があったのである。


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