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連載中国史10 戦国時代(3)

紀元前249年、秦の呂不韋が周を攻め滅ぼし、西周・東周と七百年以上続いた周王室は滅亡した。二年後には秦王政が即位し、本格的に中国全土の統一へと乗り出す。韓・魏・趙・燕・楚の五国は連合軍を結成して対抗したが、秦軍は函谷関(かんこくかん)の戦いでこれを撃退した。政は法家の李斯を重用し、徹底した中央統制の法治国家の形を整え、紀元前230年には大遠征軍を派遣して五国を次々と攻め滅ぼし、前221年には最後に残った斉を降伏させて、中国全土の統一を成し遂げたのである。政は自ら始皇帝と称し、中国史上初の皇帝となった。

始皇帝(Wikipediaより)

原泰久氏による大作漫画「キングダム」では、秦王政の中華統一までの道程が、多彩な合戦のエピソードとともに、鮮やかに描かれている。中華統一の実現によって戦乱の世に終止符を打とうとした秦王政の壮大な野望。とかく暴君としてマイナスイメージで語られがちな始皇帝だが、「キングダム」では彼の構想力や統率力などに光を当て、多くの将軍たちの生き様と併せて、激動の時代に生きる人々の群像を浮き彫りにした。確かに、単なる暴君では、中国全土の統一などという大事業は成し遂げられるものではない。数の上では劣る秦軍が他国の連合軍を撃破できたのは、政の示した中華統一による乱世の収束という明確なビジョンがあったからこそだろう。政は兵士たちに、命を賭して戦う理由を与えたのだ。

秦の統一領域(「世界の歴史まっぷ」より)

一方で人々から暴君と恐れられるほどの強烈なパワーの持ち主でなければ、そのような大事業を成就することもやはり不可能であっただろう。良くも悪くも、常人離れした異常な才覚の持ち主だけが、常識離れした大事を為すことができる。醒めた狂気とでも言うべきか。日本の戦国時代の終焉に織田信長という突出した破壊的創造者が必要であったように、春秋戦国時代の終焉には始皇帝という強烈な個性を持った破壊的創造者が求められたのだ。信長は天下統一を目前にして暗殺されたが、始皇帝は統一後の中国に、絶対的君主として君臨し得た。自らの野望の実現とともに、絶大な権威と権力を手にしたわけだ。その後の秦王朝の歴史を見ると、それが彼にとって本当に幸福だったのかどうかは疑問だが、そもそも彼のような常人離れした野心家にとっては、幸福の基準からして常人とは大きく異なっているのだろう。ともあれ、春秋戦国時代の乱世に渦巻いたカオス(混沌)のエネルギーは、秦の始皇帝という絶対者によって、強烈な求心力を持ったピラミッド型の中央集権国家へと収斂していったのである。

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