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連載日本史128 江戸幕府(3)

江戸幕府の組織は、鎌倉・室町幕府のそれとは大幅に異なり、戦国以来の職制を拡充した「庄屋仕立て」と呼ばれる形態であった。常置の最高職は4~5名の老中であり、政務全体を統括した。老中の下には町奉行と勘定奉行、さらに独立して寺社奉行が置かれ、三奉行と呼ばれた。

江戸幕府の主な職制(日本史オンライン講義録より)

町奉行は行政・司法・警察を管轄し、部下として与力・同心を従えていた。時代劇でおなじみの大岡越前や遠山の金さんは、いずれも町奉行である。勘定奉行は財政全般を担当し、地方官である郡代・代官や鋳造機関である金・銀・銭座も統括した。監察職としての大目付、会計監査の勘定吟味役、儀式を司る高家、土木・建築を担当する普請奉行・作事奉行、交通担当の道中奉行、将軍側近の側用人、老中補佐の若年寄、旗本・御家人の監察にあたる目付など、役職が細分化され、中世の幕府組織に比べて、近代的な官僚組織の色合いが強くなっているのがうかがえる。

江戸幕府の司法組織(www,rose,ne.jpより)

幕府の要職には譜代・旗本が就任し、複数制・月番制・合議制で職務にあたった。官僚のワーク・シェアリングである。行政と司法の区別がなく、老中と三奉行から成る評定所が最高合議機関であった。もちろんトップは将軍であるが、平時の意思決定はほとんど、老中を中心とした話し合いで進められていたと見ていいだろう。非常時には老中の上に大老が置かれることになっており、平時の編成がそのまま軍事編成になる仕組みであった。

京都・二条城(Wikipediaより)

地方では、京都の二条城と駿府に城代、京都・大坂・駿府に町奉行、幕府直轄地の伏見・長崎・奈良・伊勢山田・日光・堺・下田・浦賀・佐渡・函館に遠国奉行が置かれた。それらとは別に、京都には朝廷の監察にあたる京都所司代、大坂城には大坂城代が特別に配置され、幕府が朝廷や西日本の大名の動静に神経を尖らせていたことがわかる。

幕藩体制(浜島書店「新詳日本史」より)

直轄地以外の各藩の運営は基本的に大名たちに任されていたが、武家諸法度や参勤交代など、大名統制のための仕組みは随所に張り巡らされ、大名たちは幕府への忠誠・奉公を求められた。大名たちは初期には一定の土地を有力武士に与えて治めさせる地方(じかた)知行制をとっていたが、家老の下に編成される家臣団(藩士)としての組織が整備されるにつれ、給与で管理する俸禄制度へと次第に移行していった。地方政治においても、官僚制が進んだのである。

藩の役職概念図(www.ihmlab.netより)

老中やら若年寄やら大老やら家老やら、江戸時代の役職にはやたらと「老」を冠した名称が多い。実際には老中や家老に就任した人々の中には、若くして抜擢された者も多かったようだが、この名称自体が、年齢や経験を重んじる江戸幕府の安定志向を示していると言えよう。複数交代制や合議制の組織運営も、そうした安定志向の表れなのかもしれない。遠山の金さんも大岡越前も、月番制のワークシェアリングで働く公務員だったのだと考えると、何だかのどかな雰囲気が漂ってくるような気がする。






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