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オリエント・中東史㊾ ~イラン核合意~

2002年、米国のブッシュ大統領は、核開発を進めようとしていたイランを名指しで「悪の枢軸」として非難し、両国の関係は極度に悪化した。シーア派宗教国家のイランでは、ホメイニ師の死後、反米姿勢の強いハメネイ師が最高指導者の地位を継承していたが、対米感情が悪化したことで、2005年の大統領選挙でも対米強硬論者のアフマディネジャドが当選。自国に大量の核兵器を保有しながら他国の核開発を制限し、イスラエルの核開発は黙認するのにイランには厳しい経済制裁を課そうとする米国のダブルスタンダードに対して対決姿勢を鮮明にした。だが一方でイランは核拡散防止条約(NPT)にとどまり、国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れを表明するなど、国際社会にも一定の歩み寄りを見せたのである。

経済制裁による国民生活への打撃が大きくなるにつれ、イラン国内では対米強硬政策の転換を求める声が強まり、2013年には穏健派のロウハニ師が大統領に当選した。折から米国ではオバマ大統領が歩み寄りの姿勢を示し、2015年には各保有国5カ国(米・英・仏・露・中国)にドイツを加えた6カ国とイランとの間で、イランの核開発を制限する見返りとして経済制裁を解除する「イラン核合意」が成立した。これに基づき、イランは高濃縮ウランの貯蔵量を大幅に削減し、2016年にIAEAの査察を受け、経済制裁は解除された。イランと敵対するイスラエルの反発はあったものの、欧米諸国とイランの間には融和ムードが広まったのである。

しかし2016年の米国大統領選挙で、イスラエルと関係の深いドナルド・トランプが当選したことで事態は一変した。2018年にはトランプ政権は一方的にイラン核合意からの離脱を宣言。経済制裁を再開したのである。イラン側も態度を硬化させ、核開発再開の兆しも見せ始めた。さらに米軍無人機撃墜事件やホルムズ海峡周辺でのタンカー襲撃事件などの不穏な事件が次々と起こり、さらに2020年初頭にはイランの革命防衛隊司令官が米軍の空爆によって死亡するという衝撃的な事件が発生した。イランと米国の対立は抜き差しならない一触即発の事態にまで達している。米国・イランともに友好関係にある日本に対して仲介的役割を期待する声もあるが、半世紀以上にわたって続く両国の確執は根深い。ともかく事態をこれ以上悪化させないためにも、緊張緩和への外交努力の継続が望まれるばかりだ。

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