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オリエント・中東史⑨ ~前2世紀のオリエント世界~

アレクサンドロス帝国の解体後、オリエントにはアンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアが鼎立したが、前3世紀中頃にアフガニスタン地域のバクトリア、イラン高原のパルティア(安息)がシリアから独立、さらに前2世紀にはパレスチナ地域でアラビア文字の原型を作ったナバタイ王国やユダヤ人のハスモン朝が独立し、前2世紀のオリエント世界は多様な国家が分立する時代となったのである。

バクトリアはギリシア系、パルティアはイラン系の民族が建てた国である。アフガニスタンにギリシア系の国家とは現代から見ると奇異に思われるが、これもアレクサンドロスの東方遠征がもたらしたグローバリズムの遺産だと言えよう。そもそもヘレニズムとは「ギリシア風の文化」を意味する。当時のギリシア人は自らを英雄ヘレンの子孫に見立てて「ヘレネス」と自称し、高水準の文化を誇っていたわけだが、それがアレクサンドロスの遠征によって一気に東方に拡大したわけだ。インドのマウリヤ朝、更にその後に興隆したクシャーナ朝で花開いたガンダーラ美術にはギリシア文化の影響が色濃く残り、それは数世紀後に中国を経て遠く日本にまで伝播した。現代のグローバリゼーションに比べれば拡張の速度は遅いものの、この時代にも確実にグローバリズムの波があった。その発信源はオリエント世界だったのである。

しかしながら、オリエントが分裂状態に陥った紀元前2世紀、東アジアでは戦国時代を終結させて中華統一を実現した秦の後を受けて漢帝国が成立し、西ヨーロッパでは共和政ローマがその版図を広げて大帝国への足掛かりを築きつつあった。周縁が中心となり、中心が周縁となる。こうした歴史の流動性は昔も今も変わらない。現代の国際秩序や勢力関係も不動のものではありえない。かつてオリエントの小国に過ぎなかったマケドニアがいきなり歴史の表舞台で大暴れし、その1世紀後には再び小国に戻り、さらにその1世紀後には、かつて西方の小国に過ぎなかった新興勢力のローマに呑み込まれていく過程はドラマチックではあるが、同様のことが現代においても十分に起こりえるのである。

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