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連載日本史238 太平洋戦争(2)

1942年6月、太平洋上のミッドウェー海戦で日本軍は大敗し、主力航空母艦の多くを失った。これを転機として戦局は次第に不利に転じ、米軍の本格的な反攻が始まった。翌年2月には南太平洋最前線のガダルカナル島からの撤退が開始され、4月には山本五十六連合艦隊司令長官が戦死。5月には北太平洋最前線のアッツ島守備隊が全滅し戦況は完全に米軍有利となった。この時点で日米の航空機ベースでの戦力差は5倍以上、鉱物資源はいずれも10倍以上、石油に至っては500倍以上もの差があった。長期戦で勝てるわけがない。

ミッドウェー海戦で大破炎上した日本の重巡洋艦「三隈」(globe.asahi.comより)

日本政府は民需工場を軍需工場に転用し、国民生活を極度に切り詰めさせ、労働力を根こそぎ軍需産業へ動員した。1943年には兵力不足を補うために学徒出陣が開始され未婚の女性を女子挺身隊として軍需工場などに動員した。兵器生産だけが膨張し、一般の工業生産は縮小し、衣類や食料も不足して栄養失調が蔓延した。

女子挺身隊(Wikipediaより)

朝鮮では日中戦争勃発以来、「内鮮一体」をスローガンとして皇民化政策が強化されていた。日本式神社への参拝や日本語使用の強制、「創氏改名」による日本式氏名への改名指導、志願兵の募集などが行われ、戦況が悪化した1943年には朝鮮人にも徴兵制が施行されて、日本兵とともに戦場に動員された。翌年には台湾でも徴兵制が施行されている。また労働力不足を補うために、多くの朝鮮人や中国人が日本へ強制連行され、鉱山や炭鉱、ダム建設などの危険な労働を強いられて多数の死傷者を出した。強制連行された朝鮮人は70万人にも上り、現在の多くの在日韓国・朝鮮人のルーツとなっている。

創氏改名を呼び掛ける公告(Wikipediaより)

朝鮮内でも多くの人々が強制労働に駆り出された。慰安婦として各地の日本軍に従軍した女性たちもいた。軍隊の直接の関与がどれだけあったのかは不明だが、従軍慰安婦の存在自体は事実であり、彼女たちの尊厳を傷つけたことは確かである。補償問題は線引きが難しく微妙だが、少なくとも当事者への謝罪はあって然るべきだろう。河野談話や村山談話の精神が今後も引き継がれていくことを望む。

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