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BANKARA

すっとぼけた顔をして酒をかっくらってたあいつ
元気でいるか 疲れてないか 笑って暮らしているか
ふっとんだ夏の午後を覚えているか
頭のヒューズ切らしたまんまで俺たち走り続けたよね

増えすぎた人混みの中じゃ真っ直ぐ歩くのは難しい
流れを下る小石のように誰もが丸くなっちまうけど

OH BANKARA OH BANKARA 愛すべき男と女たちよ
OH BANKARA OH BANKARA 素敵なアバズレ野郎たちに乾杯!

真っ黒焦げの顔をして声を張り上げてたあの娘
あふれる想い忘れてないか きれいな目をしているか
かっとんだ夏の夜を覚えているか
調子っぱずれのモラルを俺たち笑い飛ばしたよね

過ぎた昔は美しいね 思い出はいつも綺麗だね
移ろいゆく季節は誰にも止められやしないけど

OH BANKARA OH BANKARA 愛すべき男と女たちよ
OH BANKARA OH BANKARA 素敵なアバズレ野郎たちに乾杯!

ドンブリ勘定の生き方を教えてくれた奴ら
恋も喜びも悲しみもみんな一つのグラスで飲み干してた

すっからかんのポケットに詰め込んでた夢を
落としてないか 失くしてないか 腐らせてはいないか
ぶっとばせ一度きりの人生のフェアウェイを
NO SIDEの笛がなるまで思いっ切り走れ

ふりしぼるエールの声が今も遠くで聞こえる
かみしめた唇の色は始まりの予感に震えてる

OH BANKARA OH BANKARA 笑って暮らしているか
OH BANKARA OH BANKARA 疲れた顔をしてないか
OH BANKARA OH BANKARA 愛すべき男と女たちよ
OH BANKARA OH BANKARA 素敵なアバズレ野郎たちに乾杯!

*大学時代の応援団のことを歌った歌です。
応援団の練習は他のスポーツの練習とは少し(かなり?)違います。野球部のノックやサッカー部のフォーメーションなど一つ一つのトレーニングに技術の向上や連携プレイの確認等の明確な目的がある練習とは異なり、応援団のそれはほとんどが「根性」練習です。距離を決めずにひたすら走る、息の続く限りひたすら大声を出し続ける、両腕を上げたまま30分静止、中腰のまま30分静止などなど、理不尽なメニューが延々と続きます。もちろんそこには長くハードな応援に耐え得るだけの体力や精神力を養うという大きな目標があるわけですが、一つ一つのトレーニングは、昨今のスポーツ科学の常識から言えば、非常に非科学的かつ不条理なものに見えるでしょう。

極め付きは年2回の合宿です。朝から晩まで延々と、そうした「根性」練習が続くわけです。夏休みの爽やかな高原で、輪になって中腰のまま静止している集団や、渓谷に向かってひたすら大声で吠え続ける集団は、周囲の人々の目には、さぞかし異様に映っていたことだろうと思います。

ハードな練習や応援の後には決まって大酒を飲むのですが、これもまた、ほとんど不条理のレベルに近い「根性」飲み会になったしまうわけです。そんな馬鹿騒ぎに大真面目に取り組む毎日が楽しかったのですね。大学を舞台にした、一種の祝祭的時空間であったと言えるかも知れません。

比叡山の修行の一つに「千日行」というのがあるそうです。山の中を千日の間、ただひたすら走り回るのだということです。どこか応援団の練習に似ているような気がします。解剖学者の養老孟司氏は、著書「無思想の発見」の中で、「千日行」について以下のように述べています。

<……お坊さんが山を走り回ったところで、一文にもならない。だれに頼まれたわけでもなし、そんなことをしても、なんの意味もない。GDPも増えない。じゃあ、なんでそんなことをするのか。走り回った挙げ句の果てに、本人が変わる。つまり修行のあとに出来上がる唯一の作品が、大阿闍梨本人である。修行を無益だと思う人は、そこを忘れている。芸術家なら作品ができるし、大工なら家が建ち、農民なら米がとれる。しかし坊さんはそのどれでもない。それならなにをするのかといえば、「自分を創る」のである。
 叡山を走り回ったら、自分ができるのか。そんなことは知らない。しかし伝統的にそうするのだから、できるのであろう。少なくとも、ふつうのお坊さんではなくなるはずである。それだけのことだが、人生とは「それだけのこと」に満ちている。私は30年、解剖をやった。それだけのことである。そのあと10年、本を書いた。それだけのことである。自分とは「創る」ものであって、「探す」ものではない。それが大した作品にならなくたって、それはそれで仕方ない。……>

多くの大学で応援団は団員不足のため危機的状況にあるようです。旧来のスタイルにとらわれずに時代とともに変わっていくべき部分もあるのでしょうが、若い時期にある種の不条理な祝祭的時空間を体験することは、「自分を創る」ための有効な通過儀礼の一つではないかと思うのです。まあ、当時はそんなことはまったく考えもせず毎日飲んだくれていたわけで、結果的に大した作品にもなっていないわけで、偉そうなことを言えた義理ではないのですが(笑)……。

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