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バルカン半島史① ~エーゲ文明~

バルカン半島は、西をアドリア海、南をイオニア海とエーゲ海を含む東地中海、東を黒海に囲まれた地域であり、ギリシャ・アルバニア・セルビア・モンテネグロ・ボスニア=ヘルツェゴビナ・コソボ・北マケドニア・ブルガリア・クロアチア・コソボ・スロベニア・ルーマニアなどの国々やトルコの一部を含めた広大な領域を指す。地理学的にいう「半島」の定義からは外れる点があることや、政治色の濃い呼称であることから、最近では南東ヨーロッパという名称を用いることが多い。多様な民族が混在し、多くの国々が興亡したバルカン半島は、特に近現代においては「ヨーロッパの火薬庫」とも呼ばれた。その歴史を、古代ギリシャ文明の時代から現代に至るまで概観してみたい。

紀元前3000年頃、ギリシャのエーゲ海周辺に、東方のオリエント文明の影響を受けた青銅器文明が形成された。海を通じた交易が古代文明の母胎となったのである。前2000年頃にはクレタ島を中心としたクレタ文明が栄えた。クノッソスには王宮が築かれ、海上貿易を掌握した王による専制政治が行われた。次いで前1600年頃から前1200年頃にかけて内陸部から南下したギリシャ人が現在のギリシャ本土に定着しミケーネ文明を繁栄させた。彼らの一部は海洋にも進出してクレタ文明を滅ぼし、海上交易の主導権を握った。一方、ミケーネ文明と同時期には、対岸の小アジアにもトロイア文明が発展し、ギリシャの王国連合との間で10年にわたるトロイア戦争が繰り広げられた。その顛末は後世にギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「イリアス」の中で、物語性豊かに描かれている。

前1200年頃、東地中海を中心に「海の民」と呼ばれる系統不明の民族集団の大移動があり、エーゲ海世界は大きく揺れた。各地で破壊や略奪を繰り広げた「海の民」は、シリアでヒッタイトを滅ぼし、エジプトでは新王国に侵入し、ギリシャでは諸王国を次々と攻め落としてミケーネ文明を滅ぼした。ギリシャはその後400年にわたって「暗黒時代」と呼ばれる混乱期を迎えることとなる。一方で「海の民」の活動によって鉄器の使用が広まり、東地中海世界に青銅器文明から鉄器文明への転換がもたらされたのであった。

クレタ文明・ミケーネ文明・トロイア文明を含むエーゲ文明の存在が明らかになった発端は、1871年にドイツのシュリーマンによって行われたトロイア遺跡の発掘調査であった。「イリアス」に描かれたトロイア戦争の物語は単なる伝説に過ぎないと考えられていた時代に、シュリーマンはそれを史実だと信じ、自らの私財を投げうって発掘調査を敢行したのである。トロイア遺跡の発掘に成功した彼は、5年後にはギリシア本土でミケーネ遺跡の発掘にも成功。1900年にはイギリスのエヴァンズがクレタ島のクノッソス遺跡の発掘に成功し、その後、ミケーネの線文字Bの解読もあって、エーゲ文明の全体像が次第に解明されていったのである。

伝説に過ぎないと思われていた古代エーゲ文明の存在を証明したのは、幼少の頃に聞いた物語を史実だと信じ、その解明に後半生を捧げたシュリーマンの情熱であった。子供の頃に描いた夢を失うことなく追求し続けた彼の情熱があったからこそ、現代の私たちは豊かな歴史の軌跡を目にすることができるのだ。

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