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連載日本史186 殖産興業(3)

殖産興業は主に政府主導で進められた上からの近代化であったが、政府に協力し、その保護のもとで自己資本を形成した政商たちの存在も見逃せない。三井高福は維新政府の官金取扱を引き受け、三井銀行や三井物産を設立し、三井財閥の基礎を築いた。三菱財閥の祖である岩崎弥太郎は、土佐の下級武士から身を起こし、海運事業で政府の保護を受け、台湾出兵や西南戦争時の軍事輸送を担った。両替商から身を起こし、銀行・保険業で財を成した安田善次郎、少し遅れて公家の出身で銅山・銀行経営で頭角を現した住友友純らが、後の四大財閥を形成することとなった。

岩崎弥太郎(president.jpより)

2015年のNHKの朝ドラ「あさが来た」で主人公のモデルとなった日本女子大学創設者の広岡浅子の支援者であった五代友厚も、そうした政商のひとりである。薩摩出身の五代は大久保利通や黒田清隆の盟友として、大阪株式取引所を設立し、関西経済界の振興に尽力した。一方、「西の五代・東の渋沢」と呼ばれ、第一国立銀行や東京証券取引所などを設立した渋沢栄一は、多種多様な企業の設立・運営のみならず、教育や外交の分野でも活躍し、「日本資本主義の父」ともいわれた。こうした財界人の協力があったからこそ、殖産興業政策は軌道に乗ったのだと言える。

渋沢栄一と五代友厚(news.mynavi.jpより)

政官財の一体化は強力な推進力を生む。資本主義の導入と産業革命の実現を急務とした明治政府にとって、財界との二人三脚は必要不可欠な要素であった。しかしそれは、産業の黎明期や戦争や大災害からの復興期のように、あくまで急成長を必要とする短期間に限ってのことで、それが長期にわたると必ず癒着と腐敗を生むことになる。明治期について言えば、それが後の官有物払い下げ事件となって顕在化した。経済政策にはバランスとタイミングとモラルが重要なゆえんである。

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