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オリエント・中東史㊽ ~IS(イスラム国)の興亡~

シリア内戦の中で台頭したIS(イスラム国)は、もともとはアルカイーダの流れを汲むイスラム教スンニ派原理主義の過激派組織であった。それがイラク戦争で大量に放逐されたフセイン政権バース党の残党と結合して、一大軍事組織へと変貌したのだ。つまりは戦後の統治問題をなおざりにしたまま戦争へと突き進んだ米国と、日本も含めた賛同国の見通しの甘さが、巨大な国際テロ組織を生み出す土壌を作り出してしまったと言える。当初はISIL(イラクとレバントのイスラム国)と名乗っていたISは、イラク・シリアの国境地帯を端緒として急速に支配地域を拡大し、中東のみならず、アフリカやヨーロッパ、東南アジアや北米にも国際的なテロリズム・ネットワークを構築し、各地で無差別テロによる大量殺戮を繰り広げた。2014年にIS(イスラム国)を名乗り始めてからも、テロを武器とした狂信性は変わらず、2015年には日本人ジャーナリストの後藤健二氏らを拘束して虐殺するなど、その残虐性は激しさを増した。

常識的に考えればあり得ないような残虐なテロ組織が、なぜ「国家」を自称するまでに勢力を拡大し得たのか。そこに中東を舞台として延々と累積されてきた国家間・民族間・宗教間の軋轢を背景とした、抑圧と相互不信の病根の深さが感じられる。そしてそれは中東のみならず、世界各地で抑圧感や被害者意識に苛まれて孤立した若者たちにインターネット等を通じて歪んだ連帯感を伝染させ、ジハード(聖戦)に名を借りた無軌道なテロリズムの連鎖を生み出したのである。シリアでは2017年に反政府軍とクルド人勢力が共同して設立したシリア民主軍の攻勢によってISは壊滅的な打撃を被り、その勢力は大幅に後退したが、ISを媒介として拡散した過激なテロリズムは各地に未だ根強くはびこっているように見える。そういう意味では、ISは「国家」ではなく、狂信的な「情念」が実体化したものであったといえるかもしれない。そしてその「情念」は、実態を失ってもなお、不穏なこの世界に漂い続けているのである。

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