見出し画像

連載中国史44 清(3)

明・清代の文化の特徴のひとつは、強大化した皇帝権力のもとで、大規模な編纂事業が推進されたことである。既に15世紀には明の永楽帝の命によって百科事典としての「永楽大典」や四書五経の注釈書である「四書大全」「五経大全」が完成していたが、17世紀から18世紀にかけて、清の康煕・雍正・乾隆帝のもとで、漢字書としての「康煕字典」、類書・叢書としての「古今図書集成」「四庫全書」などが次々と編纂された。「康煕字典」で解説された漢字は47,035字に上る。現代日本の常用漢字が2,136字、漢検1級でさえ6,000字のレベルだから、桁違いの規模である。

康煕字典(WIkipediaより)

学問の世界でも儒学の更なる発展が見られた。明代の王守仁(陽明)は形式重視の朱子学を批判し、人間本来の心の働きや行動を重視した陽明学を確立した。清代には黄宗羲や顧炎武らが考証学を確立し、古典研究や文献実証を通じた哲学的思考を発展させた。まさに温故知新である。実学の面でも「本草綱目」「農政全書」「天工開物」「崇禎暦書」などが相次いで完成し、薬物学や農学、産業技術や天文学の発展に大きく寄与した。

本草綱目(y-history.netより)

文学の世界では、経済の発達を背景に、庶民を対象とした口語小説が広がり始めた。明代の四大奇書とされる「西遊記」「水滸伝」「三国志演義」「金瓶梅」に加え、清代には「紅楼夢」「儒林外史」「聊齋志異」などの恋愛小説や風刺文学、伝奇物語などが生まれた。

フランソワ・ブーシェ「中国の庭」(1742年)

景徳鎮などで作られた陶磁器、高度な技術による絹織物や綿織物、そして飲茶の習慣など、中国文化の多くは欧州や西アジアにも輸出され、各地で熱狂的に受け入れられた。陶器は現在でも英語で「チャイナ」と呼ばれている。当時のヨーロッパでは、シノワズリ(中国趣味)と呼ばれる東洋ブームが巻き起こっていたという。少なくとも18世紀までは、中国は西洋世界から憧憬のまなざしで見られる文化先進国であったのだ。それが征服の対象となるのは、ヨーロッパで産業革命が起こり、急激な近代化に伴う帝国主義が膨張し始める19世紀のことである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?