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連載日本史266 ドルショックと石油危機

1971年8月、米国のニクソン大統領がドルと金の交換の一時停止などのドル防衛策を発表し経済界に衝撃を与えた。ベトナム戦争の泥沼に足を取られ、新興国の経済発展もあって、国際経済における米ドルの価値は相対的に低下し、もはや世界の基軸通貨としての地位を維持するのが困難になったのである。同年12月の10ヶ国蔵相会議で調整されたスミソニアン・レートで、円とドルの交換レートは1ドル360円から308円に切り上げられた。さらに1973年には円は完全に変動相場制に移行し、一気に急騰した。すなわち固定相場制の下での円のレートは実勢よりもかなり円安に抑えられていたわけで、輸出産業はその恩恵を被っていたわけだ。それが一気に円高に振れたことで、日本の経済成長に急激にブレーキがかかったのである。

国際通貨体制の変遷(浜島書店「アカデミア世界史」より)

1973年、第4次中東戦争に際して、OPEC(石油輸出国機構)の中のペルシア湾岸6ヶ国が協定を結び、原油価格の大幅値上げに踏み切った。原油価格は一気に2倍以上に跳ね上がり、日本をはじめエネルギー資源を中東からの石油に頼っていた諸国は大打撃を受けた。また、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)は原油生産の段階的削減と、中東戦争におけるイスラエル支持国への石油禁輸を決定し、米国に牛耳られていた世界の石油市場における主導権を奪回した。石油は国際政治における最も重要な戦略物資となり、日本の外交は急速に「アラブ寄り」ならぬ「アブラ寄り」に傾いたと揶揄された。

トイレットペーパーの買い占め騒ぎ(buisiness.nikkei.comより)

スーパーマーケットではトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起こった。実際にはそこまでの品不足が起こっていたわけではないのだが、群集心理が一種の社会的パニックを引き起こしたのである。翌年、日本の経済成長率は戦後初のマイナス成長を記録した。ここに高度経済成長は終わりを告げ、政府は経済政策の見直しを余儀なくされたのである。

オイルショックの影響(www.am-one.co.jpより)

石油危機は日本経済を脅かしたが、それを契機として省エネ技術の研究開発が進んだ。公害に対する環境対策とも相まって、省エネ技術は日本のお家芸とまで呼ばれるようになった。雨降って地固まる。長い目で見れば、石油危機は日本にとって僥倖であったと言えるのではなかろうか。

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