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インドシナ半島史

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インドシナ半島の歴史をまとめています。
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記事一覧

インドシナ半島史⑯ ~日本軍の侵攻~

ここで、第二次世界大戦中に行われた日本軍のインドシナ半島侵攻について整理しておきたい。 …

水埜正彦
6時間前
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インドシナ半島史⑮ ~二つの世界大戦~

英仏の植民地支配下にあったインドシナ半島諸国に、20世紀に入って衝撃的なニュースが飛び込ん…

水埜正彦
1日前
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インドシナ半島史⑭ ~ラタナコーシン朝~

1782年、アユタヤ朝の再興を掲げ、チャクリ(ラーマ1世)がバンコクを首都として新王朝を創始…

水埜正彦
3日前
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インドシナ半島史⑬ ~英領ビルマ~

18世紀にアラウンパヤーによって建国されたコンバウン朝ビルマは、19世紀に入って西に接するイ…

水埜正彦
7日前
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インドシナ半島史⑫ ~仏領インドシナ~

1858年、東南アジアでの植民地獲得を狙うフランス皇帝ナポレオン三世は、宣教師殺害を口実に阮…

水埜正彦
9日前
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インドシナ半島史⑪ ~越南国~

ベトナムでは15世紀後半に黎朝が最盛期を迎えていたが、16世紀に入って内紛が起こり、武将の莫…

水埜正彦
13日前
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インドシナ半島史⑩ ~ランサン王国~

14世紀、タイ人と同系統のシナ=チベット語族に属するラオ人によって、メコン川中流域のラオス地域に初めての統一王朝であるランサン王国が成立した。ラオスはインドシナ半島唯一の内陸国であり、国土の七割が山地であるという点で、海上交通を足がかりに発展した他のインドシナ諸国よりも統一が遅れたのかもしれない。ランサンとは「百万頭の象」という意味であり、当時の象は戦車的存在として軍事力のシンボルであったという。王国の都はルアンプラバンに置かれ、アンコール朝から取り入れた上座部仏教を奉じて金

インドシナ半島史⑨ ~トゥングー朝とコンバウン朝~

パガン朝の衰退後、長く分裂状態が続いたビルマでは、1531年にビルマ人によって創建されたトゥ…

水埜正彦
3週間前
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インドシナ半島史⑧ ~アユタヤ朝~

1351年に建国されたタイ人の王朝であるアユタヤ朝は、チャオプラヤ下流域からバンコク湾・南シ…

水埜正彦
3週間前
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インドシナ半島史⑦ ~大越国~

ベトナム北部では10世紀に中国の支配から自立した呉朝の後を受けて、ハノイ(昇竜)を首都に、…

水埜正彦
3週間前
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インドシナ半島史⑥ ~スコータイ朝~

ビルマ人の南下からやや遅れて、11世紀ら12世紀頃にかけて、中国南西部に居住していたシナ=チ…

水埜正彦
4週間前
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インドシナ半島史④ ~アンコール朝~

扶南を滅ぼして成立したカンボジア・クメール王国(真臘)は、8世紀には北部の陸真臘と南部の…

水埜正彦
1か月前
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インドシナ半島史⑤ ~パガン朝~

中国・雲南地方の南詔国に居住していたシナ・チベット語族のビルマ人が、11世紀に南下してイラ…

水埜正彦
1か月前
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インドシナ半島史③ ~ドヴァ―ラヴァティー・真臘~

6世紀か7世紀頃に、タイ地域のチャオプラヤ川流域にドヴァーラヴァティー王国が建国された。これは現在のタイ人とは異なり、ベトナム人やクメール(カンボジア)人と同系統のオーストロアジア系に属するモン人による王朝であり、やはりインドの影響を強く受け、上座部仏教を受容した。上座部仏教とは、戒律を厳格に守って伝統を継承し、修行を通じて悟りを開くことを第一義に置く宗派である。一方、中国・朝鮮・日本・インドネシアなどに伝わったのは大乗仏教と呼ばれる宗派であり、個人の悟りよりも広く民衆を救済