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特別養子縁組で子どもを迎えた話

採卵4回、移植6回。使った金額500万円。
福岡に戻るタイミングで、不妊治療をやめた。

この道、判定日に「役立たず。無価値。生物として失格」って自分を追いつめながら帰ったなぁとか、妊婦さんや赤ちゃん連れの人が視界に入ると顔を背けて歩いたなぁとか、夫に八つ当たりしてわざわざ別の電車に乗ったなぁとか、場所にまつわる嫌な記憶を福岡でつけたくなかった。
東京の最高峰と言われるクリニックでできなかったんだから、あきらめもついた。

そして福岡に戻ってから、かねてより夫と話していた特別養子縁組で子どもを迎える手続きを始めた。
特別養子縁組で子どもを迎えるには、自治体の児童相談所と民間のあっせん団体経由があるが、わたしたちは民間のあっせん団体にまず申し込んだ。
(その後、自治体の児童相談所で里親登録の研修も受けたが、里親登録が終わる前に団体の審査に合格したため途中で辞退となった。でも、このときのつながりが今も活きているので里親の研修を受けてとてもよかった)

団体の審査は、書類審査→面接→家庭訪問というように段階がある。
テストと違って正解が分からないものだから、不妊治療のときと同じように迷いながら進んでいた。
不合格でも理由は教えてもらえないし、合格しても何を評価してもらえたのかは教えてくれない。

審査が終わると「あそこの回答、まずかったかなぁ!? 話してるうちに分からなくなって、変な方向に行っちゃったんだよぅ……。あぁーーー!!」って寝る前に枕に叫ぶわたし。
対して夫は、後悔はしたところで回答は変わらないんだから、そういうのムダ。と割り切れる人なのでさっさと寝に入ってた。

手応えがないのに審査を通過して、団体から委託したいお子さんがいるという連絡を受けたのは去年の夏のこと。
生後5日でうちに来てくれた小さい命は、柔らかくてあたたかかった。
ただ当初はこの命を守らないといけないという責任感ばかりだったし、自分の子どもになってくれるという実感もなかったし、周りからママと呼ばれるのも慣れなかった。
今では子どもがいてくれる幸せを、わたしに向けてくれる笑顔の尊さを噛みしめている。

わたしたちは運良く子どもを迎えられた。
各団体に申し込み条件があって、望んでも申し込みさえできない人もいるし、どんなに切望しても審査に通らないとどうしようもない。
だから、自身に子どもを授かるのと同じく、わたしたちが養子を迎えられたのはたまたま運がよかっただけと思っている。

夫婦でどんな話し合いをしたのかとか、親や周りの人への説明はどうしたのかとか、会社にはいつ言ったのかとかはそれだけで1本の記事になるから今日は概要だけで終わります。
(審査の内容は団体との約束で書けません。それを期待して読んだ方ごめんなさい。わたしも審査中はたくさん探したから気持ちはわかる!(書いてる人もいるから探してみて))

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