見出し画像

まともに生きていくことのできなくなった人

タイトルに記したのは、私にとって「依存症とは」についてです。

私にとって依存症とは、
「まともに生きていくことのできなくなった人」

私は、薬物をやめて2年後にフラッシュバックを起こして幻聴、幻覚が始まりました。そのことで心療内科で診断された病名は「覚醒剤誘発性精神病性障害」というものでした。

私は先日、神奈川の某クリニックでスピーチをしに行ってきたのですが、当事者たちといっしょに話を聞いてくれていた先生が、「もし診断の結果統合失調症と判断されていたら今の川満くんの人生はなかったですね」と言われました。

当時の私の症状は統合失調症ととても似たものでした。幻聴が聞こえ出したのも18歳くらいだったので、統合失調症が発症しやすい17歳という年齢にも近かったのもあり、そう診断されていた可能性もあったかもしれないと言いました。

もし、とか、こうだったら、という「たられば」の話が私はあまり好きじゃないんだけど、初めて「もし統合失調症と診断されていたら」という話に私は興味が湧きました。

二十歳の頃から薬物依存の後遺症として、回復の一歩を''自分の力ではどうすることもできないことを認める''というところから始めてきました。これが自分の人生に対する初めての降伏を体験したときでした。

そこから回復施設の生活と自助グループの参加を継続してきた私は、ここが原点みたいなものです。

30歳の時にイエス・キリストを信じて全てが変わりましたが、クリスチャンになって8年、「もし統合失調症と診断されていたら」というクリニックの先生の言葉は私に新しい扉を開く可能性を与えてくれました。

決して病名に囚われているわけではないけれども、なぜか新しい領域に入る不思議な感覚が得られました。

タイトルの話に戻しますが、厚生労働省の依存症のサイトでは、
○依存症とは「特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になることです。」とありました。

○依存症って何が問題なの?では、
「依存対象のことを大事にしすぎることで、自分や家族の生活に不都合が生じます。」と記載されていました。

ズバリ、と言いたくなる正しい記載があげられていました。

私は人が何かに依存せずに生きていくことは無理だと考えます。そうなると誰しも依存症の傾向があるのです。しかしバランスや執着心、心の状態が崩れてしまう人たちがこの症状を顕著に表すと思います。
しかし、大なり小なり、問題を抱える私たちにとって誰もが依存症になり得ると思うと、依存症とは「まともに生きていくことのできなくなった人」と勝手に定義すると私は腑に落ちるのでした。

そして、まともに生きていくことのできない私たちに必要なのは、救い主イエス・キリスト、聖書の御言葉によってしか本物の回復はないという結論に至ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?