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「常に危険と隣り合わせ」

 中毒には、薬物、アルコール、タバコ、ギャンブル、セックス、食べ物など、色々ある。
 そのものが常に頭の中にあって、それを使っていないといられないような状態だと思う。

 私は10代の頃にシンナー中毒になった。それからマリファナや覚醒剤に変わっていった。
 シンナーにハマってからは朝から晩まで吸い続けた。当時中学生で、教室や校庭でも吸っていた。卒業遠足のディズニーランドに向かうバスの中でもシンナーを吸う始末だった。ディズニーランドに着くと毎日のシンナーの吸いすぎで、一日をディズニーランドの保護室みたいなところで寝て過ごし、綺麗なベッドと落ち着いた部屋の中で、まるで病院のような部屋だった。それもそれで思い出だ。それと、学校でやりたい放題やっていた私たちに教師はもうなにも言えなくなっていた^^;

他の薬物も並行しながら、20歳になる二日前までやっていた。

 その日私は逮捕され、2度目の少年院に入ることになりました。

 まさに「中毒」だった。

 私が生活していたリハビリ施設では、
「私たちが行き着く場所は①刑務所②精神病院③墓場である」と言われています。

 ドラッグは大抵、所持や使用をしていれば犯罪で警察に取り締まられるものだ。
 でも中毒になってしまうものの中には、そうでないものもある。
 一番私たちがよく知っているものは、お酒やギャンブルがある。依存の対象が何であるかは人それぞれですが、それに対して、中毒になり抜け出せない状態にいることを「中毒者」であるといえると思う。
 そして、それに対して自分の力ではコントロールできない状態を認めることが「依存症者」であると私は思います。

 今日のタイトルは「常に危険と隣り合わせ」だけど、人間は常に何かに依存して生きているようなものです。それが病的なまでに熱中してしまう人と、適度な相互関係でコントロールをしながら共存しあえる人もいます。ワーカーホリックになってしまう人の中には家族をもそっちのけで、仕事人間になってしまう方々も多いのかと思います。

 そんな私たちが、これまでしてきたことを振り返り、見つめ直す必要もあると思います。でも、自分を責めなくても大丈夫です。(それでもきっと私たちは落ちこぼれのレッテルを自分に貼ろうとする)

 私たちには過ちがある。自分の人生をコントロールできなくなることもある。私たちには、依存症という性質があるからだ。

私は今、神様依存症です。つまりイエス・キリスト依存です!

 人を造られた神様は、人を立ち直らせる力を持っています。

たとえ死の影の谷を歩んでも、私は災いを恐れません。あなたが私と共におられるからです。聖書・詩篇23:4

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