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社会復帰失敗2016.9.22証①

 私が、イエス・キリストに信仰を持つようになったのは、2014年の10月の頃です。

 私は、10代の頃、遊ぶために薬物を使用していました。そのため、21歳の時にドラッグアディクションリハビリテーションセンター(DARC)に入所しました。

 10代の頃にしか使用していなかった薬物のために、使用しなくなった後も後遺症で苦しみました。それは、幻聴・幻覚でした。

 21歳でDARCに入り、初めてプログラムに参加した時の異様なミーティングの雰囲気を今でも覚えています。しかし、とうの私が一番おかしかったのです。(頭の中が(~_~;))  翌日、そのプログラムにもついていけないと判断され、精神病院に入院しました。自分でもわけが分からなくなりました。絶望と、なぜか感じた安心感。とにかく人に言えることではないことを悟りました。そして、自信を失いました。

 退院して再びDARCに戻りました。そして、3年間プログラムを受けました。同じような苦しみと経験の分かち合いをする中で、自分だけではないんだという安心感と仲間意識が生まれました。

 同時にこれからも、残された僅かな自尊心の殻を守って生きていくことが、どん底に繋がれた私に与えられた人生だと思いました。鉛を引きずって生きていくような気持ちでした。

 「それでも、もう一度立ち上がりたい。」
そうやって殻を守りながら、回復を願いながら社会復帰をしていきました。


 社会復帰してだいたい5年が経った頃、私は再び、徐々に体調(精神)をおかしくしていきました。仕事では周りの雰囲気や評判を気にしていました。その時期住んでいた藤沢の湘南では、サーフィンをしたり酒を飲んで、自分のやりたいことをすしていました。過去を忘れて今できる自分の最大限楽しむことをする。いつ死ぬか誰にもわからない。後腐れなく、いつ死んでもいいように、これまでのクソのような人生を泡のように過ごしました。

 しかし、死ぬことよりも私に与えられたのは、精神的苦しみ。薬物依存の後遺症。フラッシュバックでした。専門的なことはわかりませんが、当時の私は10代の頃の自分を取り戻し、DARCにいた過去を捨てて、薬物にさえ手を出さなければ、なにをしても大丈夫だと思いました。存分に自由に生きることを目的としていました。変わったのは、薬物をやらなくなったことでした。

 でも、それではダメだった。

 薬物をやらなければ、大丈夫ではなかった。


 私は、あっという間に仕事もできなくなり、数ヶ月間、幻聴を聴きながら出口のない暗い迷路を彷徨い歩きました。たどり着いたのは、5年ぶりのDARCでした。施設のスタッフに相談し、もう一度入所してプログラムを受けることが決まりました。
 私にはここでしか生きていくことしかできないと思いました。

〜イエス・キリストとの出会い〜

 精神的におかしくなり、仕事も辞めて、暗い迷路をさまよっていた時、ベッドで横になり、天井を見つめながら、「本当に神様がいるなら本物の神様しか助けられない。助けてください。」と願いました。

 だけど、私は神様なんて知りませんでした。ただ、仕事をしていた時にクリスチャンの同僚がいました。その子はしきりに私を教会に誘いました。少しは興味がありました。なぜかというと自助グループのミーティングは毎日のようにカトリックの教会で行われていたからです。

 だからといって、神様、イエス・キリストのことは何も知りませんでした。仕事の都合も合わないし、その子の誘いを毎回適当に断っていました。

 でも、それが今思うと、幻聴で苦しんでいた私が、思い出してイエス・キリストと結びつくことになったきっかけかもしれません。だけど、どうすれば救いを求めることができるのかを知りませんでした。教会にも行ったことがりませんでした。

 そこで私は、壊れた頭でネットでキリスト教のことをググり始めました。

その②→

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