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うつわの樹

その樹は、小高い山の頂から降りはじめる斜面の、際のあたりに生えていました。

まっすぐ伸びればよいものを、危険を省みぬように、幹は谷のほう、斜面の側へ、せり出していました。

幹から分かれ伸びる枝は、なおのこと、さらに斜面側へ、ほとんど地平と平行に伸びていました。幹より枝の丈が長くなったころ、樹はもはや伸びなくなりました。

樹は、生まれたときには、たしかにまっすぐ生まれたのです。若木のころは、空へすくすく伸びました。

なのに、いつしか、長い時間をかけて、身を傾げるような、身を乗り出すような恰好になっていきました。

斜面に傾く身を支えるには、強靭な根を張る必要がありました。樹は、ゆっくりゆっくり、幹や枝と比例するように、いえ、それ以上に、根も伸ばしました。樹の根は、地中に深く潜り、無数に分岐し、そして山の頂を抱えるようですらあったのです。



不思議に思った蟻たちが、尋ねたことがありました。「なぜまっすぐに伸びないの」

樹はこたえました。「ここに生を享けたからです」

蟻たちには、わかりませんでした。けれども、実際、蟻たちは、樹が強く根を張り、土をほぐすおかげで、心地よく暮らしていたのです。

不思議に思ったメジロたちも、尋ねたことがありました。「なぜ上ではなくて横に伸びるの」

樹はこたえました。「それがわたしの本分なのです」

メジロたちには、わかりませんでした。けれども、実際、メジロたちは、樹が枝を横に長く伸ばしているおかげで、並んで止まり、互いに温め合えました。ふくふくと身を寄せ合って、楽しく合唱もしていました。

そう、メジロはメジロで、メジロの本分を生きていたのです。そうであると、省みることもなく。

メジロは横長の枝に喜び、また、樹もメジロの歌声に喜んでいるようでした。

樹は、その横長の枝に、鳥たちだけでなく、雨の雫も受けていました。雨の雫も、メジロとはことなる、しとしととした音楽を奏でました。

夜には、星々が、樹の枝に、憩うため降りてきました。樹は、星をも受けていたのです。澄みきった深夜には、樹の枝には、まるで星の花の咲くようでした。

また、降り落ちてくる光の粒子は、精妙な響きと震えをもたらしました。それは、メジロや雫ともことなる、天上の音楽でした。

樹は、それらのすべてを、ひたすらに聴していました。



樹は、枝の腕をひろげ、空を包むように、あらゆるものを、うけていました。それはまるで、うつわのようでした。

わたしは感嘆しつつ尋ねました。「あなたは、うつわの樹なのですね」

樹は、しんとしたまま頷いて、やがて静かに、わたしの問いに、こたえてくれました。

「はい。うつわという在り方を識ったのは、つい先ごろなのですが。

一身にまっすぐ光をうける樹もあります。わたしもそうありたいと、願う日もありました。それももう遠い日になりました。

しかし、わたしは枝の腕を水平に伸ばした。はじめには、空から谷底へ落ちてゆくものたちを、どうにか受けとめて、すくいたい思いがあったのです。焦りから気が急きました。早く早く伸びたいと懸命でした。恐れの思いすらありました。

ついに、もうこれ以上には、枝が伸びなくなったとき……このことを恐れてきたのに……はたと気づいたことがありました。

わたしはすでに、地のもの、空のものたちの苦しみと共に在りました。同じくにして、地のもの、空のものの喜びとも共に在りました。それは、わたしにとって、大変な喜びでした。大地とも、大気とも享受し合い浸透し合っていました。このことも、しんにしんからの、しんの喜びでした」

うつわの樹の言葉は、やみました。わたしももはや、尋ねることをしませんでした。

わたしは、樹の幹に、抱きつくように、身を寄せていたのですが、いつしか樹のほうから抱きしめられて、樹と一つになっていました。

わたしたちの対話が済み、心がしずまると、天上、地上、地の底の、すべてからの声が聴こえてくるようでした。

はじめに言葉ありきとは、聴くことのはじめ、聴くもののはじまりでもあるのだろうと、そのときに思いました。

わたしもまたうつわでした。これまでのどんな思いも喜びのなかにあり、いまのいまにも喜びのさなかを生きていました。

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