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直ぐなる者

直ぐなる者

飛翔する。この爽快は、なににも代えがたい。
私は飛翔そのものである。私とは飛翔である。
白頭鷲である。

飛行に関して、私自らの意図は、ほとんどない。
流されるのではない。流れるように翔けめぐる。
そうして身をまかせることが、痛快なほど快感なのだ。

風に乗る。乗るというよりは風になる。空っぽな体に、風が入ってくる。
風と戯れ、対話しながら、風そのものになりながら、光の柱、光の帯に沿ってゆく。

天からの光は真っ直ぐに降りてくる。
一方で、山や大地に降った光は乱反射して、あらゆる角度で無数の光線を描いている。
大分するならだが、前者が光の柱であり、後者が光の帯である。

私の飛翔は、それらの光に、つぎからつぎへと沿うだけだ。
つぎに沿う光に迷うことはない。
つぎの光が、ひとりでに浮き立って、私を呼ぶからだ。

私も、私の飛跡を宙空に、つぎつぎと添えていく。
光の層をなしてゆく。
しかして、降りつむ光の層は、光をとおし、光を懐くが、光を絡めとりはしない。
なぜなら、それは、言うまでもなく、光だからだ。

ゆえに、私は光に沿おうと、いや、沿うからこそ、自由だ。
屈するということではなく、したがうという自由がある。

私の、獲物を狙うときの急降下は、宙空を垂直に切り裂く。
そうすると、風と光が大きく切られ、大気が大きく循環する。
これには、土を耕すこと……天地返しと同じ作用がある。
私の降下によって、天地は対流を起こし、大きく渦まき、ゆるりぐるりと入れ替わる。

大気には、過去からの時間と、未来からの時間とが、双方向から流れこんでいる。
呼吸のように浸透し合っている。
その結び目が、「いま」というとき。
そして、急転直下のときは、「いま」。

私は、光の帯の一条を弓に、己を矢にして鋭く落ちる。
光の柱の只中で、私は光となり、光速ともなる。
その飛行という降下が、たまらなく心地良い。

私は、直ぐなる者なのだ。

獲物の獲得は、もちろん食……生存の維持のためではある。
されど、光と化すこと、降下すること、的を得ることへの欲のほうが、強いかもしれない。
この衝動、この内的必然が、私の本性なのだ。
本性を生きるときには抵抗がない。快感しかない。

鳥瞰というものは、不動のものにはとらわれない。
反対に、動くものはよく見える。動くものほどよく見える。

地形や樹木など不動なものの全容は、たいてい一目で把握できる。
他方、動けるものは、そうはいかない。
それゆえ、私を惹きつけるのだ。
とくに、人間の動きは興味深い。

私は、私自身が高速で翔けながらも、他の動きに焦点が合いつづける。
私は決して見逃さない、見過ごさない。
動くものは、私の眼から逃れることはできない。
私に鋭くまなざされている。

私は人間を見抜き、見透かす。空からはよく見通せる。
天からは、さらに、さぞかし、見晴るかしているだろう。

片や人間は、見られていること……天からの無量のまなざしに気づかない。
加えて人間は、己の行いのみならず、己の思いが、世界をなしていることに気づけない。
なんて愚かなのか。

あぁ、こうして人間を見下すことは、私にしみついた悪い癖だ。
癖とはいえ、これが、私の視座なのだ。

人間は人間のことしか考えない。
いや、自分のことしか考えない。
いいや、自分のことすら考えられない。
だから、平気で他のものを傷つける。

卑近な例だが、人間は、私を天の使いと崇め、畏れるくせに、捕らえようとする。
私にあやかるため、私の霊力を求め、私を射て獲ようとするのだ。
嘆かわしい。

天へ、私を捧げるのは、かまわない。
しかし、そうせずとも、じつはすでに、神は降りてきている。
空の底にこそ降りてきている。人間のすぐ傍にいる。
いや、人間のなかに、もうすでに生きている。それが神の本来だ。

なのに、何故わからないのか、気づかないのか、くだらない。
そうか、くだれないのだ。
降りていけないのは、神とはたがう在り方だ。
どうして光の柱に沿おうとはしないのか。内へ向かい祈らないのか。

しかし、そうではない人間の少年も、ひとりいた。

人間の少年

闇夜を抜けたばかりの、灰青の明け方だった。
気がつくと私は、木製の狭い檻のなか、脚を紐で結ばれ、囚われていた。
射たれて気絶して落ちたところを捕らえられたのだ。

人間は、私の羽根が目当てだ。
神へ捧げる儀式のためだ。
そのため、私の体は、傷つけられてはいなかった。

だがしかし、飛翔たる私が、飛翔を封じられたのだ。
なんという不自由か。腹立たしさが募った。
落とすなら、いっそ命まで奪えば良いものを。

しかし、そうすれば、私の羽根は生気を失って色が濁る。
かくして、人間は私を囚えつつ生かすのだ。
生かしながら殺しつづけるのも同然。
無残。そして、無様なものだ。

薄暗がりに動きを察知した。
はたと気づくと、人間の少年が、私の至近距離に居た。
私としたことが、それまで、少年の動きに気づけずにいた。
これが地上というものか。重力に俯瞰が鈍らされるのだ。

少年はナイフを持っていた。
当然、羽根をもがれ、挙句には殺されるのだと思った。
殺されてたまるかと、私の全身の、あらゆる部位から声がした。
私は、バタバタと翼をはためかせ、声で威嚇し、爪を立て、抵抗を試みた。

そのときに一瞬思った、何故ナイフなのか、矢で仕留めれば良いものを、と。
それでも、そんな疑問には、かまってなどいられなかった。

少年は、私の必死の抵抗を一身に受けながら、避けながら、私に近づこうとしていた。
身を低くして、片腕で顔を覆い、彼も必死だった。

ふ、と、浮力を感じたと同時に、私は檻から飛び出していた。
少年が、私の脚に結ばれていた紐を切ったのだ。
彼のナイフは、私の羽根をもぎるのではなかった。
思いがけなかったが、浮力を得た私は飛び立つだけだ。

私は、またたく間に舞い上がり、上空から少年を一瞥した。
浅黒い肌、黒い髪、私を捕らえた人間の一味だ。
しかし、私を助けた。心で考えた者の行動だった。

彼と眼が合った。
私を見上げる彼の眼は、やけに澄んでいた。
羨望と憧憬、そして、親しみのこもる、いたわりと慈しみのまなざしだった。
直ぐなる光が、彼に射しているのがみえた。

不意に私は、一瞬、なにかを思い出すような気がした。
(彼とは、いま会っているが、かつても会っていた。いつかまた会う。)
思い出の予感、未来の記憶、とでも言おうか。

そして、思った。心から思った。強い思いだった。
(私の大切な彼が、どこかで生きていること、それだけで、しあわせだ。
また、そう願えることは、悦びだ。)

何故、そう思ったのかは、わからない。
私の思いなのかすらも、わからない。
一人の人間が……あの少年が大切だと?未だに不可思議ですらある。
もっとも私は、その憶いに、それ以上とらわれることはなかった。

早朝の格闘に、さすがに周囲も気づき、騒ぎ出す気配があった。
知るものか。
私は酷く疲れていたが、人間たちの集落の上空を、あえてわざと旋回した。
慌てふためく人間たちを見下ろした。

見下ろし、見下しつつも、思った。
(人間も悪くない。私が姿を現すことで、人間の心に希望が生まれるのなら、それもいい。)
またも、不可思議な思いだったが、果然、私が、一つの思いにとらわれることはない。

ちょうど、東の空から、朝日が真っ直ぐ射してきて、私を照らした。
太陽からの光が、直に、光の帯でもある時間帯だ。

私の翼は力強くしなり、その羽根は艶めいていた。
(やはり、私は、大きくて、美しい。)
陽が射して、輝きいづる世界もまた、大きく、広く、美しかった。
私は、自らへの誇りと世界への信頼を新たにし、飛び去った。

人間たちは、私に対する、畏敬と感嘆、諦めの思いをもって、私を遠く見送っていた。

死とカラス

満月の夜だった。
私は、とある高山の頂近く、切り立った崖の上にいた。
崖は、雪と氷に覆われており、月光のもと、白銀に輝いていた。
眼下には湖がみえた。湖の水面は凪いでいて、鏡面のように、月影を映じていた。

私はいつもの如く、風そのものとなり、光の帯に沿って、そこまで来たのだった。
初めて来る場所だった。

崖では、湖とはちがい、凍てつくような風が、強く吹いていた。
とはいえ、風と一体となるなら、厳しいものでは、まるでない。
むしろ、冷たさが心地良かった。

ふいに、思った。
(死ぬときは、ここで死ぬなら、腐ることもないだろう)と。

期せずして、突如、私は、自らの老いを知り、死を思うこととなった。
私はもはや、飛ぶことはないのだ、と識った。

死は事もなく受けいれた。
が、もう飛ばないということには、不可思議さと苦みを覚えた。

飛翔そのものである私が、もう飛べない。
あぁ、それでも風に向かえば風となり、飛翔のあの爽快を味わえるのだろうか。
あがきではあったが、その想像は、なぐさみだった。

気がつくと、カラスが、私の傍らにやって来ていた。
死の番人だ。私の屍肉を喰みに来たのだ。

私はそれまで、闇夜のカラスは、闇夜に紛れる、漆黒の闇色なのだとばかり思っていた。
しかし、よくよくみてみると、闇色は闇色なのだが透明で、銀色の光に烟るようだった。
カラスは、私の思いを察するように、呟いた。
「わたしは夜の帳色。変幻自在。それでも夜の帳色」と。

「あぁ、そなたは美しい。死がこれほどまでに美しいものだったとは」
と、私は素直に、カラスの美しさをたたえた。
「えぇ、死とは、どんな者にも、ひとしく、とうとく、美しい」
と、カラスは応じた。そして、続けた。

「あなたはひたすらなせる者。わたしはひたすら享ける者」
「では、私を享けに来たのですね」
「はい」
「私の死に際して来たが、ついばみに来た、喰らいに来た、というのではなさそうですね」
「はい。わたしのなかに……夜の帳に、世の闇に……あなたを沈めに来ました」
「私を土へ還すために?」
「はい。あなたを土とするために」
「私が飛翔そのものだから」
「ええ、そうです。あなたはわたしの闇なしに、大地に沈むことはできません」
「あぁ、そうですね」
「あなたもわたしも、骨は、スのある含気骨ですが……」
「骨は大地からのもの」
「ええ、大地へ還さねばなりません」
「風葬だけでは、還れない。土になれない」
「あなたはずっと風に乗り、還らないでしょうから」
「あぁ、そうです、それでは生まれ変われない。ありがとう。そなたなしに、私はない」
「わたしこそ、光を降ろし、気をとおす、あなた……直ぐなる者なしには、ないのです」

そうして私はいま、天の光と、地の闇と、そのあわいの風となり、死を生きている。
光の粒子となって、黒子のカラスのように、透明に生きている。

Base on vision by Etsuko.
And advice by Pete.
Special thanks!!

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