見出し画像

大水青

 幾年か前の五月、連休明けの勤務後、駅のホームに、白い何かが舞うのを見た。目の端で捉えつつ、線路沿いの坂を下っていると、〈それ〉は、線路もフェンスも超えて、わたしの近くまで来た。初めは鳥かと思ったが、掌ほどの大きさの蛾だった。街灯に照らされ、姿がありありと見えた。

 その白くて大きな蛾は、わたしの周りを旋回した。蛾が舞うのを、その場で回りながら、夢中で追った。目が離せなかった。

 次の刹那、蛾は上空の夜の闇へ、すっと消えた。発光をやめるが如くだった。

 後で調べたところ、大水青という蛾だと知った。

 (彼が挨拶に来てくれたのだ)と思った。

 実は、その数日前、葬儀に参列していた。突然の訃報を受けて、駆け付けたのだった。花に囲まれた彼の死顔は、彼の生きたままの優しさに満ちていた。知り合って間もなくだったが、気が合い、信をおくひとだった。

 当時、彼の、画家である妻や友とも知り合い、彼らが居ることにも甘え、京都への転居を進めているところだった。退路を断って染織の道へ行こうとしていた矢先だった。

 でも、行けない、と思った。拒まれた、道は絶たれた、と。

 大水青は、彼の化身だったと思っている。

 「鳥は死者の魂」とは古今東西で言われるが、蛾もそうなのだろうと思う。

 鳥は啼く。しかし、蛾は啼かない。大水青の彼も、美しく舞うばかりで、何も言わなかった。

 また、羽化後の大水青は口が退化しており、地上のものを口にしないまま果てる。

 放光し尽くし、誰にも何も言わず一人、自ら生きるのをやめたひと。

 けれども、さいごは共に哭きたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?