愛について
愛とは何か、愛するとは何か、わからない。
特に、己を愛する、ということが、わからない。
己も、愛も、私の理解など遥かに超えているからだ、と考えることもできるが、その考えは、単なる思考停止である、とも思う。
他者に対しては、決して、全く、思わないことを、自らに対しては思うことがある。
その最たるは、「おまえは死ね」という思いである。
「慈しみ、大切にすることが愛である」と思う。
けれども、自ら、己を慈しむこと。己を大切にすること。
そのことだけが、なぜか、難しい。わからない。
挙げ句には、「死にたい」という思いに苛まれ、己の生を蔑ろにしてしまう。
堕ちてゆくことさえ、選んでしまう。
愛とは、ときに、ひとを賭させるものだとしても、重力のまま堕ちてゆくこととは、ちがう。
私は、真剣に、誰か、何かを愛したことがあったか。
私は、誰も、何も愛せない、心の冷え切った人間なのではないか。
それらの問いを抱くたび、心は沈むばかりだ。
「そのひとの愛したものが、そのひとのアイデンティティなのではないか」と思うことがある。
その意味では、私は、人間の形をしただけの、空っぽな透明人間なのではないか、と思う。
これまで生かされてきたのだから、何者かには愛されてきたのだろう。
実感はある。感謝もある。
しかし、私は、己すら愛せぬ者のままで良いのか。
真の意味で、いま生きていると言えるのか。
今後も問い続けるが、一寸先には、虚無に飲まれるような、薄ら寒い予感もある。
その虚無とは、死というよりは、悪のような気もしている。
死と悪とは別ものであるし、愛と善も、必ずしも、ひとしくはないけれど。
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