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にじのわ
ダブルレインボーどころではない。
二重の虹の環。それらを中心に、そのほかにも幾条もの虹が、あちらこちらに弧を描いている。
いくつもの光の散乱。どういう散乱なのだろう。
夕暮れか、夜明けのような薄明。闇色と赤光の入りまじる、時と空の隔てのない時空間。
わたしの視点は、どこだろう。どこから見ているのだろう。
上下左右前後のない視座。ゆえにこそ、虹は途切れることはない。どこまでも追いかけられる。
思えば虹は、いつもいつでも架かっているのだ。
あるかないかではない。見えるか見えないか、あるいは見るか見ないかだ。
そして虹は、いつもいつでも虹の環、環状だ。
七色個々の個性を失うことなく、七音の音階のように、七色相互に、薄明の空に和している。たがいに、めぐり、めぐんでいるのだろう。
一色のなかにもグラデーションがあり、たとえば無数の赤、無数の緑、無数の藍が存在する。光に喜び、光に応えている色、あれは、心のかけらの反射なのだろう。
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