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みちづれ

橋の真ん中に着くと、そこには先客がいた。
わたしは、そのひとは、〈わたし〉だと、ふと思った。
驚きはなかった。
どこかで会うような気がしていた。

「来ると思った」と、〈わたし〉は言った。
小さく笑う顔は、困ったように歪んでいた。
そして続けた。「わたしが誰だかわかる?」

「わたし」と、わたしは即座にこたえた。
そして訊ねた。「止めに来たの?」

そう、わたしは、飛び降りるつもりで、ここに来たのだ。
橋の上から河へ飛びこんで、死ぬつもりだった。

「止めはしないよ。そんなちから、わたしにはない」と、〈わたし〉は言った。

それでも、結局、止めたのだ。

わたしは、死ぬ気と、その機会すら失って、呆然とした。
虚しさと重だるさが、身体にどっと戻ってきた。
それまでは、死へ向かう高揚感のようなものがあった。
しかし、そういうものは、そのときには、まったく消え失せていた。

しかたなく、わたしと〈わたし〉は、ふたり並んで、暮れゆく西の空を眺めた。
富士山のシルエットが見えていた。
わたしは、富士と、富士に連なる稜線を目で辿った。
特に意味はない。
ただ他に何をすることもないからだった。

心に何を思うか、わからなかった。
心に何を思えばよいかも、わからなかった。

南北にかかる橋の上。
背後では、多くの車が、せわしなく往来していた。
わたしたちの目に撫でられる山々の稜線は、摩耗することなく、佇んでいた。

勝手なのは、わかっていた。
迷惑なのも、わかっていた。
頑固で傲慢だということも、わかっていた。
誰の助けも求めず、拒み、ひとり死んでゆくことは。

涙になりそうだったけれど、ならなかった。
言葉にもならないから、しなかった。

隣にいるのは〈わたし〉だから、気まずくはなかった。
どうせ、すべて知っているのだ。
もしかしたら、わたしよりも、ずっと、わたしのことを。

いつの間にか、すっかり夜だった。
煌々とした都会の端の橋の真ん中にも、夜の闇は降りて来て、わたしたちを包んでいた。
わたしたちは、闇と同化していた。
車のヘッドライトの広角が、照らしては行き過ぎるけれど、誰がわたしたちをみるだろう。

「しあわせでなくても、もういい」
ふと、口をついて出たのは、こんな言葉だった。
「うん」と、〈わたし〉は頷いた。

しあわせは、いらない。
しあわせが、何か、わからない。
いまのいまにも、仕合わせなのだろうとも思う。
どんなこともすべて「しあわせ」のうちにあると。

求めて何になる。
目指すではなく、そのさなかをゆくのだ。

あらわれては消える問答を追ううち、またしばらく間が空いた。
わたしと〈わたし〉は、ふたりとも俯き、あたりの闇より、より深い、見えもしない河底を眺めていた。

〈わたし〉は言った、言葉を反芻するように、一つひとつの言葉を確かめるように、ゆっくりとした口調だった。
どこか、逡巡も、緊張も感じられた。

「あのね、わたし、わたしたちは、どこまでも深く、際限なく癒えて、良いんだと思う」
その声は、か細く、小さく震えていた。

「そうだね」と、わたしも小さく呟いた。
というのも、同意するよりほかにないほど、あまりに切なる、いたわしい声だったのだ。

そして、わたしたちは、歩き始めた。
来た道を帰るでもなく、やむなく、あてもなく。
虚無感は変わらなかった。
変わらずに重苦しかった。

どうして生きるのか、なぜ苦しいのか、という問いは、湧きそうなものなのに、湧かなかった。
深刻さはときに、真剣みを奪う。
真剣に生きることに自暴自棄になるほどの深刻が、この世にはあるのだ。
ただ、この苦悩を生きていくのだと思った。

悩み抜く〈わたし〉が、あらためて、道づれだった。
かたはらの道しるべのようでもあった。

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