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アストラル

 ぼくは雲のうえにいた。あたり一面、上空まで、やわらかな白い光に包まれていた。
 茫として明るい、影の落ちない光の世界。光の時間、だったのかもしれない。ぼくは、光の空気と空気の光を呼吸していた。

 ぼくの身体は、人間のみどりごのかたちをしていた。そして、ぼくの周りには、ぼくと同じすがた、かたちをした、たくさんのぼくがいた。みんな、ぼくだった。
 たくさんのぼくは、みんな、顔も身体もみどりごのようにふっくらとして、髪の毛は金色のくるくるとした巻毛だった。そして、背には、ふわふわとした羽根におおわれた翼を持っていた。ぼく自身からみても、幼子の天使そのものにみえた。
 そして、たくさんのぼくには、みんな、骨がなかった。身体はすかすかで軽やかだった。まるで人形のようだった。皮膚にくるまれていても、どこか透けているようにもみえた。
 翼があり、身体も弾むし軽いから、たくさんのぼくは、雲のうえを跳ねるようにして、喜々として飛び回っていた。みんな、朗らかに笑っていた。

 ぼくは、いま、こうして「ぼく」というけれど、どちらかいうと、そのときは「ぼく」だったというだけで、性別はなかった。
 たくさんのぼくには、名もなかった。みんな、ぼくだから、名づける必要もなかった。呼び合わなくても、呼ぶ前、呼ばれる前から、応え合っていた。
 それに、そのときのぼくは、名で呼びあらわせるような存在でもなかった。
 ぼくは、何者でもなかったし何者でもあった。何者にもなりうる存在だった。たくさんのぼくが、みんな、そうだった。

 たくさんのぼくは、みんなぼくだったから、個別性というものは、ないにひとしかったかもしれない。
 とはいえ、たくさんのぼくは、個々に在り、それぞれに、それぞれの喜びをもって存在していた。それぞれに、なにかが決定的に、かけがえなく違うからこそ存在していた。その“なにか”は、ぼくにはうかがい知れないなにかだった。ただ、ぼくにはぼくの代わりはいないからこそ、ぼくはぼくだった。ぼくとして存在していた。

 たくさんのぼく……ぼくらは、夢を食べて生きていた。ぼくらは、なんとはなしに……というのも、雲のうえには昼も夜も、そもそも時というものがあるようでなかったから……集まると、足を中心に向けて寝そべり、輪になって眠った。
 目をつむると、一瞬にして、また一つの明るい雲のなかにいた。
 雲は、とどまるということがない。雲自体が全体、果てしない夢だった。星雲のように夢々の渦まく夢。雲は永遠に変化し続けるから、ぼくらは夢をみ終えることがなかった。ぼくらは夢の続きのまま目覚め、また、その雲のうえを跳ねるのだった。

 ぼくらは、寝ても覚めても、同じ一つの雲のなかにいて、無尽の夢を共にしていた。互いの思いや体験、雲の運んできた過去の予感や未来の記憶、あらゆるすべてを……持ち寄って分け合う、というのでもなく……事もなく自然に共有していた。

 ぼくらにとって夢みることは、睡眠であると同時に、食事であり排泄であり、生であり死だったともいえるだろう。夢は、滋養でありつつ、死骸も腐敗も混在一体に在り、つねに代謝し循環するものだったから。
 夢は、いわば、ぼくらをまるごと懐き、ぼくらを生かす土壌だった。あらゆる記憶を内包していた。
 そして、夢には、“ぼくだけの夢”という夢はなかった。ぼくの記憶、というものはなかった。すべてぼくのものだった。ゆえに、なに一つ、失うことも、失われることもなかった。



 ぼくの記憶として、しかりと憶えているのは、ぼくが星の子になって、宇宙の闇を彗星のように駆けているときのことだ。ぼくの記憶、つまり、ぼくだけの記憶を持てるのは、ぼくにとっては、とても嬉しいことだった。湧き立つような歓びだった。

 そして、さらなる喜びは、ぼくが“あの子”と手をつないで、ふたりで旅をしていることだった。ぼくは、ぼくのかたわらにいる“あの子”が、ほんとうに大切で、だいすきだった。どうしてかは、わからない。ひとりでにすきだった。心の底から大切で、だいすきだった。
 すきになる、すきでいる、大切にする、というのは、計り知れない喜びだった。それは、ちからであり、たからもの……すばらしいおくりものだった。そして、肚から湧くような、その歓喜は、“ぼくだけのもの”だった。“あの子”はぼくの“とくべつ”であり、“あの子”を思うぼくもまた“とくべつ”だった。“とくべつ”は、“とうとさ”をもたらした。

 「ぼくら、どこまでも一緒にいこうね」「わたしたち、ずーっと手をつないでいようね」
 ぼくらふたりは、いつでもそう話し合っていた。ぼくらは、そもそも、光のようにときめく思いを共有していたけれど、思いを伝え合うこともしていた。なぜなら、思いは、伝え合うと輝きを増すからだった。振り返れば、ぼくらには、ひとりでに光輝への衝動があった。

 ぼくはしあわせだった。ほんとうに、しあわせだった。こんなしあわせがあるのかと思った。宇宙の闇がどんなに深くても、ぼくらふたりは、みずから発光し、光り輝いていた。
 そのときには、ぼくらの背には翼はなくなっていた。そのかわり、ぼくらの後背には、光背のように、たくさんの星々が降るように連なっていた。ぼくらの軌跡だったのか、仲間だったのかは、わからない。でも、どちらにしても、おなじ、アストラルだ。

 ぼくらふたりの旅は、飛翔というより果てしない落下のようだった。しかし、なんのおそれもなかった。ぼくはぼくであることが嬉しくて、だいすきな“あの子”と一緒に居られるのが嬉しくて、“あの子”をだいすきな自分もだいすきで嬉しかった。

 そのときにも、ぼくらには名はなかった。ぼくは「ぼく」、“あの子”は「わたし」と、じぶんを呼んでいたけれど、あきらかな性別もなかった。ぼくらはふたりでひとつだった。ひとつだったけれど、“ふたり”だった。ぼくはぼくであり、“あの子”は“あの子”だった。区別はないまま、“とくべつ”だった。

 “あの子”の、ぼくをみるまなざしを、ぼくはいまでも憶えている。記憶が明滅するたびに、いとおしさと歓びが、いまここに、ありありとよみがえる。それは、ぼくの、ぼくだけの思いも、どこかへ消えてなくなりはしないものだからだ。そして、そうあれるのは、ぼくがぼくであり、“あの子”が“あの子”だったからだ。“あの子”もぼくのことが、だいすきだった。“あの子”が分けてくれたてのひらの熱は、いまもぼくのなかをめぐっている。



 あるとき、なんの前触れもなく、突然、苛烈な白光に包まれた。雲のうえのまどやかな明るさとも違う、宇宙の闇にたなびく光背とも違う、くらむような光だった。
 なにが起きたのか、まったくわからなかった。次第に光になれて……というのも、ぼくが光と化したからなのだが……みえてきて驚いた。

 ぼくは燃えていた。

 燃えながら、ものすごい高速で……いや、光速だったかもしれない……ぐるんぐるんと回転していた。天地左右前後の感覚を完全に失っていた。それまでのぼくは、正直なところ、天地や左右、前後という感覚を得てすらいなかったのだけれど、失くすことで初めて、その感覚を強烈に意識した。

 そして、ぼくは、“あの子”の手を、はなしてしまっていた。はなすつもりはなかったのに、はなれてしまっていた。「わたしたち、ずーっと手をつないでいようね」と、“あの子”が言ってくれていたのに、大切でだいすきな“あの子”の手をはなしてしまったのだ。
 もちろん、“あの子”を探そうとした。気もちは急いた。けれども、ぼくは、じぶん自身がぐるぐると高速回転していて、探そうにも探せなかった。ぼくの意識は、どこにも焦点が合わなかった。

 ぼくは、じぶんが、烈しい白光を放ち、まるで光源のように燃えながら……それでも燃え尽きることはなく……相当な抵抗に圧されつつ……それでもものすごい重さをもって……どこかへ落ちてゆくのを感じていた。



 つぎに気がつくと、ぼくは、波のうえを漂っていた。あたたかな海だった。光の水、というのだろうか。ぼく自身が、水面のきらきらだった。水と空気とぼくは、おなじ温度で、まどろむように、たゆたっていた。水と空気とぼくの境界は希薄だった。

 ぼくは、光の粒子になっていた。

 光の粒子は、光が無数に分化したものだ。ゆえに、無尽蔵に、こんこんと湧き、無限に遍在する。
 ぼくは、無数の光の粒子だった。光から分かたれたものであり、光そのものでもあった。
 無数のぼくが在ることは、雲のうえの幼子の天使でいたときと、近しいともいえるけれど、全く異なっていた。光だから、貌も象もない。影もない。一切の区別がない。骨のない天使でいたときよりも、さらに実体がなかった。しかし、存在感がないということはなく、むしろ、ありありと存在していた。
 無数のぼくは、ぼくだから、無数のぼくの思うことは瞬時に分かった。分かれているから分かるのであり、分かれていても隔てられてはいなかった。主観であり客観であるから、ありとあらゆることが同時にみえていた。共鳴し、共振していた。
 夢を食べる必要はなかった。与え与えられる、ということもなく、受け取り明け渡すことの、絶え間ない連続だった。うつしあい、うつりゆき、明滅し、そうしてめぐりゆくだけだった。そのめぐりは、瞬時の閃きのうちのことだった。
 あらゆることが可能だった。不可能はなかった。制限がなかった。すべてぼくだった。時間も空間もなかった。すべてがいまここに在った。

 無数の光の粒子であるぼくは、無量の光そのものでありつつ、その光のなかで、つねに湯浴みするように漂っていた。
 光の粒子は、光そのものに解消し、霧散しまうのでもなかった。光は光のなかでも消えはしないのだ。光は光と融通無碍に浸透し合い、ますます光を増した。そして、さらなる光の波紋が拡がってゆくのだった。光は光にとどまらず、光は光のみならず、光は光を超えていくのだ。それを、ぼくは渦中でみていた。

 ぼくは識った。光が無限に分化するのは隅々にまで行き渡るためであり、光が隅々にまで行き渡るのは無限に分化するからだった。分かれるから分かち合うことができ、分かち合うために分かれるのだった。どちらがあとさきということもなく、理由と帰結、問いと答えは同時存在していた。

 ぼくは、光から無限に分化されるぼくでありながら、光の一部分ということはなく、光そのものだった。光そのものに同調し、ぼくであることから解かれて、拡がって拡がって、ぼくはぼくであることに、より意識が向かなくなっていった。ぼくは、在でありながら非在であり、非在でありながら遍在するものだった。
 そうして、われを忘れてゆくことは、われにかえることに、不可思議なほど近しかった。心をこめることと無心になることが、真逆のようで、じつは近しいことに、よく似ている。ぼくは、ぼくへと、かえろうとしていた。いや、ゆこうとしていたのか。

 しかし、はたと思った。ぼくの大切な“あの子”はどうなったのか。どこへ行ったのか。どこにいるのか。どうしているのか、と。
 無数のぼくが、一斉にそわそわとして波立った。焦りと不安が、ぼくの心を衝いた。同時に、“いとおしさとは、なんと切なく苦しいことだろう。ときめきとは、なんと痛みであり光なのだろう”、と思った。そう、ほんとうに、痛みさえ光だった。
 ぼくは、きょろきょろとして“あの子”を探した。無事を祈る思いが湧いた。

 しかし、つぎの瞬間には、もう凪いでいた。
 “あの子”もぼくと同じように漂っている。だから、だいじょうぶ。いつか逢える、いつでも会える、いや、いまのいまにも遭っている、さみしくない、という安心の思いが、どこからか、ひたひたと寄せてきた。無数のぼくと、無数の“あの子”からの、無言にしてけっして無音ではない応えだった。それは“実際”だった。思いとは実現し、実在するものなのだ。
 そして、ぼくは、じぶんが“あの子”を思えたこと、“あの子”から思われたこと、それだけで、もう満ちたりていた。そのために生まれてきたんだ、生きてきたんだ、と思えるほどだった。

 心の安んじたぼくは、眠るように、じぶんをとじた。おのずと、とじてゆくからだった。そうして、じぶんが、うつらうつらと夢意識に落ちてゆくのと同時に、ゆらゆらと水底へ沈みゆくのを感じていた。それは、無数の光の粒子であるぼく、みんながそうだった。

 下へ下へと降りてゆくなかで、ぼくはぼくをより解るような気がした。それは、あらゆるぼくが、解かれ、降りつんでいたからだ。分かれて分かる、解かれ解されて解る、降りてこそ翔ぶ……
 不意に、ぼくは、ぼくの……たくさんのぼくの……夢になるのだ、と思った。それまでぼくを懐き支えていた夢の雲や、この光の海に、ぼくはなるのだ、と。



 おそらく、つぎも、ほんの瞬きの間だった。
 水底の深みへと降りていたはずのぼくは、いつの間にか、天の高みにいた。

 ぼくは、そのときにも光の粒子だった。
 意識がフォーカスされていくと、光線が真っ直ぐ、水底へ、地の底へのびているのがみえた。みえた、と言っても、目でみたのではない。とはいえ、いうなれば、ぼくのすべてが“眼”だった。光であり、光を反射する、まなざし、そのもの。みるものとみられるもの、そして、高みのぼくと深みのぼくが、光の線でひとつに結ばれて、きらめいていた。みるものとみられるもの、天の光と地の光は、ひとつの同じものだった。まなざすときには、まなざされていて、祈るときには、祈られていた。
 そして、無数の光の粒子であるぼくは、みんな、おなじく、無数の光線で結ばれていた。ふと、それは、なにか、“約束”のように思えた。見失おうともなくならない、忘れても消えることのない、深遠からの永遠の約束。よすが、のようでもあった。

 すべてのぼくの、天の高みと地の深みを結ぶ無数の光線は、集合して、まるで光の球をなすようだった。そして、その光の球は、どこまでも延伸し、拡大し、深化してゆくのだった。とどまることがなかった。光の球は、みずからの中心から光を放ちながら、みずからの全体を光で包んでいた。
 天の光の粒子たちは、球の外縁で戯れるように交歓し、笑い合い、睦み合っていた。

 そして、さらなる天があった。それは、予感や憧憬のように垣間みたにすぎない。けれども、ぼくはその一瞬、それまでの共有や共振をも超えて、すべてがみえている気がした。永遠をみた気がした。

 そこでも、光の粒子は光の粒子としてあった。光の粒子は微細な点であり、点と点は光線となり、線と線とは交錯して光る面をなし、光る面とは、すなわち光る網だった。光る網は、ひたひたと波打ち、かつて、ぼくのたゆたっていた、あたたかな海の水面のようだった。意識を向ければ、微細な光の粒子たちが、さやさやと、きらめいていた。
 点も線も面も網も無数にあり、いわば“無数面体”が、一瞬のうちに、無限に明滅するようにみえた。無数の光の面は、光を映し合っていた。映り合っていたのか。それは、呼吸のようでもあった。繰り返されるのに、いつでも新しかった。そして、その“光の球体”は同心球状の波紋を、次々と無限に拡げていた。無数の光の波紋は、打ち消し合うことなく、あまねく浸透し合っていた。光は、交響曲のように響き合い、調和し、水のように四方八方へと流れていた。



 ふいに、ひとひらの光の網があらわれた。ぼくは……なぜかわからないけれど嬉しくなって、そうしたらいいとわかって、そうしたくてたまらなくて……光の網の下に潜りこんだ。そこには、ぼくの大切でだいすきな“あの子”がいた。ぼくらは歓び、笑い合って遊んだ。そうして転げ回るうち、光の網に包まれるようして、光の網になっていた。

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