見出し画像

スノードロップ

 凍える夜空のもと、降りかかる冷たい雪を、花に変えて降らせたのは、どなたのはからいだったろう。そのときいつくしさは、いつくしみに変わった。そのときのひらめきは、懐かしく新しいきらめきだった。記憶は反転し翻った。絶え絶えの望みは、希なる望みにかえられた。痛みは光として射した。

 白く白い雪の花は、どれ一つとて同じ形のない形。どんな色でもなく、どんな色にでもなる白い色。一面の雪原には、無限の可能性が降りつんでいた。無数の一つひとつの思いがひしめいていた。

 雪の花が落ちたのか降りたのか、それは問いとして立たない。運命に何故は問わない、いのちには是非も理由も問えないのだから。

 空は、雪をおくり藍をうける。花は、幸をうけて愛をおくる。言葉遊びだと笑えばいい。でもほんとうのことなのだ。 “ほんとう” は軽くはないが、軽やかなものである。

 晴れた昼の空の青は、夜空の青の偏光だ。より青の、光の、遍くように、そのために。わたしたちは無数の青の粒子にも包まれている。

 いま、いのちはひとりでに発熱を始める。あるいは根づき地熱を得たか。雪を融かして芽吹いた。わたしはここにいますよ、と。

 それから、葉をひろげ、天をあおぎ、みそら色を呼吸した。息づき、そして息吹いた。わたしはなんて自由なのか、と。

 白く白い雪の花、俯いてひらき咲むのは、地を這う者に幸いをおくるため。さいわいは小さな祝い、初めからの祝福だ。そして、しあわせは合わせあうこと。わたしたちがめぐりあうこと。幸せのため、生きていい。あなたに微笑むために、わたしはわたし、わたしは生きる、と花は咲む。

 傷められて痛んでも、ほかを恨むことのないのは、花だから。傷んでいてさえ傷んでもなお、ほかの痛みに身をひらいてしまうのは、花だから。花は花としてある。それが花の天分なのだ。そしてまた、花は地の祈りでもある。花はいつでも思いを託される。儚くても、ひらき咲むから。

 花の咲むのに、懸命な者に、強い願いに、不意に落涙するわけは、そこにいのちを、ありありとみるからだ。我が身のうちの、隠され置き去りにされたいのちと呼応するからだ。感傷でもなければ同情でもない。ほころび、ほとばしるものに、ほどかれる。

 そして、ひらき咲むばかりが花ではない。花は朽ちゆくときまでも花。

 スノードロップ。花言葉は希望、慰め。

http://yomutokaku.jp/result_sp1kai.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?