ICT弁護士奮闘記3 うちの事務所が狭くてよい理由

世間一般の弁護士事務所のイメージのひとつに、巨大な本棚と書類棚が林のようにそびえ立っているという姿が挙げられるのではないかと思う。確かに、新しい分野の書籍を買い込み、分厚い事件記録と対峙しなければならないのはその通りであり、このために弁護士事務所には相応のスペースが必要であると一般には考えられている。
しかし、MFUKLOには、そういう本棚はない。棚と言えば、メタルラックがいくつかある程度で、それもコピー用紙やトナーなどが入っている。自宅にも本棚はない。あるのはポータブルHDDのみである。
紙の本を読まなくなって久しい。私は、本については、購入後すぐにPDF化して、ポータブルHDDに保存している。ポケットに入るサイズのHDDの中に、数千冊の書籍がデータになって収納されている。だから巨大な本棚は必要ない。PDFにする関係で、新品の本である必要もなくなったから、新刊出ない限りはamazonで古本を買うので、経費節減にもなっている。何より、出張先でも文献をすぐに見られるのが重宝する。本棚を持って出張に行くわけにもいかないからである。
同様のことは、事件記録についても当てはまる。なるべく紙媒体で出力しないようにしているので、紙でもらったものや、原本以外はあまりファイルにとじていない。必要がある場合を除き、期日にも記録はデータで持って行くので、分厚いファイルを抱えて裁判所に行くことはあまりない。おかげでテレワークもしやすくなっている。
ペーパレスはどの業界でも必至の流れであり、地球環境保護や経費節減の観点からも極めて重要である。そもそも、紙に情報を記録することは、古代エジプト文明までさかのぼる極めて原始的なやり方である。にもかかわらず、無駄に紙媒体が使われているというのは、なんとも不合理な話である。
例えば会議の際に、議題や添付資料を事前に人数分印刷するのは馬鹿げた話だ。そのために膨大なコピー用紙が必要となり、コピーのために事務職員の負担が増え、なおかつ終わった後はシュレッダーにかけるという作業が発生し、ゴミも増える。事前にデータで配布して、必要な人だけ印刷して持ってくれば十分なはずである。
電子媒体はセキュリティが・・・という懸念には、紙をなくすリスクだってあるわけだから、要はその人のリスク管理の問題であり、電子媒体が悪いわけではない。そうではなくて、ペーパレス化を阻んでいるのは、やはりある種の土俗信仰である。
世の中には、「紙でみた方が頭に入りやすい」という謎の妄想が跋扈している。じゃあ実際に、紙でみるのと電子媒体でみるのとで、理解力に差が出るのか実験したのかというとそうではない。単なる妄想というか、食わず嫌いの域を出ないのである。弁護士にも一定程度そういう人がいるが、どうしてそういうところだけ合理的な発送ができないのかと大変不思議に思う。紙教の信者は、紙媒体を使うことによる機会損失をどのように考えているのか不思議である。そういう人が声を大にして、地球環境保護だの働き方改革だの言っていても説得力がない。電気を節約して原発を止めようと主張するのは結構だが、その前にまずは紙の利用を止めてその分事務職員を余計な仕事から解放してはいかがだろうかと思わずにいられない。
ただ、この辺は世代的なものもあるようで、我々の時代だと、概ね大学に入る頃には、スマートフォンやタブレットが普及していたので、日頃から資料を電子媒体で保有することに抵抗がないのだろう。だからそれより若い世代は、よりなじみがあるようである。ただ、それより上の世代でも、タブレットを使いこなしている層も一定数いるし、若い世代でも紙の手帳でスケジュール管理をしているような人もいるので、やはりその人の問題なのではないかと思う。苦手意識や先入観を捨て、まずはやってみることである。

先日、弁護士会のある会議でZOOM会議をしたときも、私はネットで調べたものを画面共有し、ポータブルHDDから開いた書籍の該当ページを画面共有して議論を行った。一昔前では考えられないことであり、テクノロジーを抜きにしてはできないことである。しかし、それによって、議論は着実に充実したものになっている。また、MFUKLOでは、書面の草案を確認してもらうのに、よほどのことがない限り、メールやLINEで送ることにしている。
余計な紙を廃止することは、事務職員の負担を減らし、余計な事務費用を削減し、ひいては地球環境を守ることにもつながる。事務所も狭くていいので、そういう意味でも経費節減である。当たり前にやっていることを見直すことが大事なのだと実感させられる。

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