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雪の中を最終電車で辿り着いた大垣駅で接続なく車中泊も提供されず毛布1枚で放り出された乗客の一人だった話

関連note:
2021年12月27日未明に発生した「雪の大垣駅舎毛布1枚帰宅困難事象」— 帰宅困難者対応と大規模広域災害での広域連携に関する提案—
https://note.com/mizuno_yoshiyuki/n/nfd3983ad9c55

背景:2021年12月27日未明、大雪の中で、JR米原-大垣間の普通列車に約1時間半の遅延が発生した。その結果、元々は岐阜・名古屋方面に接続する予定の列車がなくなった。途中で車内放送はされたが対応には限界があり、多くの乗客が大垣駅で足止めされた。車中泊はなく、最終的に30名程度が大垣駅のホーム待合室か改札周辺で毛布1枚で深夜から早朝まで過ごした。急病人が出てもおかしくない状況だった。
私は当初(12月27日20時半頃)、同日19時のNHKニュースで、「160人の車中泊が出た」と報道されたことに対して、それ以外にも災難を被った人がいたことも、報道すべきだと感じた。そしてTwitter上でその趣旨のツイートをした
以下、関連するtweetを収載する。(一部加筆修正。元のツイートは残してある。)ただし私の誤解もあるかも知れない。その場合はご指摘をお願いします。(twitter @y_mizuno https://twitter.com/y_mizuno


@nhk_newsさん、報道内容を追加・改訂願います。というのは、2021年12月27日19時のNHKニュースで、米原〜大垣間の雪による列車の遅れで160人が車中泊と報道されましたが、それだけではなかったからです。実際には大垣駅で、乗客が要望したのに車中泊はなく、毛布1枚で雪のホーム(あるいは改札周辺)に放置された乗客が数十人以上(私を含み)居ました。

12月27日夜7時のニュースで米原-大垣間の雪で「160人が車中泊」と報道されたが、実際は悲惨。大垣駅で深夜に降ろされ、乗客が要望したのに車中泊は準備されず、毛布1枚で雪のホームに放置された乗客が数十人以上居ました(私を含む)。これを報告されないJR東海には改善を要望します。

この悲惨に乗り合わせたのは、京都から名古屋方面最終21:31発。途中で雪が強くなった。下の写真は彦根駅23:28, 12/26。
この段階で私はFcebookに「列車が遅れて困ったものだが、雪が見られるのは、よしとしよう」と、まだ余裕があった。
列車の遅れは、米原駅の踏切でのトラックの立ち往生が原因だった。

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途中の道路でも車が動かないのを見た。これは災害になると予感した。

米原手前で列車から外を見ると、隣の線路が雪に埋もれて見えない。写真(下)。時刻23:49分。まずいと思い始める。この線路の状態がずっと続く。

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米原で停車。見通しが立たないとアナウンス。その数分後いきなり発車。運行側の焦りの発露。

米原から大垣の間でアナウンス:「大垣についても接続がない」。私は「え〜!」(あとどうする)と思わず声を上げた。他の乗客はすでに聞いていたのか何なのか、何も言わない。
米原で列車が動かなかったため、遅延はさらに累積している。写真は12/27未明、00:07分、米原〜大垣間の醒井(さめがい)。凍てつく車窓。

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米原〜大垣間で、雪はさらに深くなる。次の写真は柏原駅で停車した時の光景。誰も降りない駅なのだろうか。雪かきも出来ていない。
写真時刻:12/27未明、00:17。

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米原〜大垣間。大垣の一つ西の駅、垂井(たるい)。写真時刻(進行方向と逆方向2枚):12/27未明、00:30。
普段より1時間半の遅れ。しかもこれが最終。。。

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12/27未明00:40頃大垣着。接続なし。改札では30歳程の若者が冷静に抗議、どうしろというのかと問うている。
米原(JR西とJR東海の切り替え点)で西日本が東海に対処を押し付けた、東海に聞けと。それはそう。だがこれで誰も責任を取らない体制が完成。あとは日本社会の絵に描いた状況で膠着に。

その若者によると、しらさぎ66号が遅れて米原着、その乗客も乗ってきたことを、大垣駅の運用責任者(助役さん)は聞いてなかった。だから「私もびっくりした」と。それで大垣駅の改札周辺は、降りるに降りられない乗客で大混雑(日本人だから皆、冷静だったのが救われた)。そこから問題開始。

この状況では4つ程の方法が思い浮かんだ。(1)代替手段の提供(近隣の私鉄、バス等)。(2)臨時列車の運行。(3)ホテル確保。(4)マイクロバスかタクシーでJR各駅へ送る(ピストン輸送)。
大垣駅の助役さんは、どれも出来ないと。信じられず、何回も聞き直す。理由はこういうことらしい。大垣駅には(1)の代替鉄道なし。深夜バスもない。

代替案がない理由。(2)臨時列車の運行出来ない。車庫が遠い。運行するなら整備に3時間かかり、始発と同じになる。(3)今空いているホテルは3km先。遠い。しかも部屋数不足。(費用は客が払う)。(4)マイクロバスかタクシーでのピストン輸送も出来ないと、助役さん。

車中泊も検討したが車両も出せないと。

皆びっくり。駅に放置されるのか?雪の降る真夜中に駅のホームで?
そこで50歳程の紳士が発言「これは災害である。これだけ多くの人が困っているのに何もしないのか」。正論だ。

その冷静な紳士の提案で、車中泊と代替案について再検討をお願いした。しかし最終的にも、車中泊の車両も出せないとの返事。
私も皆も「それはないでしょう」。車両を出せる人がいないとか。何を言っているんですか。それこそ責任者の判断一つでしょう。そうか誰も自分の判断にしたくないのか...

この状況では、助役が可哀想。駅長は代表者(不在)、助役が現場責任者。助役に意思決定の権限がない(事務的・例規集的に彼の所掌事務にない)。
しかし彼しか現場で判断出来ない。車両を出すかどうかの判断は、東海路線区(と言っていたか?定かでないが)で出来ないと返事をしてきたらしい。助役も被害者だ。

私が、これは日本の抱える問題なんだ、お分かりでしょう(などと頓珍漢なことを言ってしまう...)。助役さんは最後は、「おっしゃる通りだけど、私には出来ない。私ができることは、...毛布ならある。倉庫にある毛布を出してくることだ。」

私は諦めた。

程なく、指示を受けた年若い女性駅員が、カートを押して出てきた。私は思わず「お手伝いしましょうか」と言った。...。でも理解した。これは彼女の仕事なんだ。

JRの毛布は茶色で、薄い割には目が詰んでいて、とても暖かかった。というより足が冷えていた。

そこから後は、助役さんが言っていた待合室へ行った人。座り込んで毛布を被る人。腰、あるいは肩に巻いて立ったまま、まどろむ人。コーナーの引っ込んだ場所に腰掛ける人。あるいは、名古屋まで数万円だから払えない額ではないが払いたくないと思いつつ、タクシーを待つ人。知人に電話する人。

毛布は全員に配布された。午前3時。私は腰に巻いた。タクシー乗り場に見に行った。数名に聞いた。

来ますか? ...時々。

見回すと、居酒屋が対面に見えた。毛布を巻いたまま店へ。午前5時までやっていた。暖かい梅酒と少しの食べ物を注文。本を読んで過ごすことにした。忘れられない読書になった。

午前4時過ぎ、眠くなったので、駅ホームの待合室に行った。私が入ると、どうぞ座って下さいと2人の女性から声をかけられる。災害ユートピアだ。助け合い、情報を交換し、正しい判断を工夫する。明るい雰囲気に満ちていた。(追記1:私はその瞬間、「今まで居酒屋に居ました、皆さんにも言えばよかったですね、すみません。」と言った。そして...)私は正直に、今まで座っていたので大丈夫、と言い、女性に元の席に戻っていただいた。

(追記2:私は居酒屋がやっているかどうか不明でそこに行き、自分の身の安全を確保した安堵感があり、また程なく、抗議していた若者も入ってきたので、探せばわかると思い、それ以上の行動はとらなかった。待合室の方々、後で気付いて申し訳ありませんでした。)

午前4時30分頃、始発列車の時刻表示は点灯していた。やっと帰れる。さらに明るい雰囲気の待合室。数時間を共有した人たちは対話の役割分担が出来上がっていた。

代表して交渉を続けた若者、冷静な50歳紳士、オロオロして頓珍漢な発言を続けた私。
名前も聞かず、写真も撮らず、別れました。

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お金、時間、精神的、身体的にもダメージが大きかった。数十人規模の「災難」だった。そう思う。まさに「これは災害だ。これだけ多くの人が困っている」。その言葉に尽きます。

JR東海さんにも、種々の出来ない理由があるでしょう。
そこで提案です。この災難を、次の改善に活かしませんか。

以上

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