益川敏英先生の訃報に接して

この文章は、2021年7月30日に、とあるメーリングリストに書いたことですが、こちらにも転載します。

昨日7月29日には、益川敏英先生の訃報が報道されました。
この訃報に接し、お悔やみ申し上げます。

私は益川先生とも直接に対話したことは、多分なかったと思います。
しかし間接的には、いくつか思い出すことがあるので、メモします。

ご参考にならなければ済みません。

1)若手に対する「喝」について

初田哲男先生が「まだまだ若手にはっぱをかけて頂きたかった」と(Facebook上)
https://www.facebook.com/tetsuo.hatsuda/posts/4781253098569970
でfuneral tributeを書いておられて、思い出しました。

「発破」のこと。

1978年前後の「原子核三者 若手夏の学校」でのことだったと思います。総会の終わり頃、突然大声で、会場の後ろから怒鳴り出した人がいました。それが益川先生でした。何を言っていたか正確に覚えてはいませんが、今の若手は何をやっているんだ、私はスタッフだが若手の定義は自分で若手だと思うことだ、とおっしゃいまして。おそらく活動方針案に対して、あまり意見が出なかったことに、我慢がならなかったのだろうと思います。

関西にはイッチョカミ(何に対しても一言言う、噛み付く、絡みたがる)という言葉があります。その象徴のような出来事でした。益川先生は、どうも
若い人に「喝」を入れたがる(失礼な言い方ですが、いいことでもあるかも)ことでも、知られていた人のようでした。(誤解があればご教示ください。)


2)大学での講義について思い出すこと

私は個人的には、益川敏英先生と、一度まともに話をしたかったという思い
があります。

後で知ったことですが、1973年に、例のノーベル賞になった有名な研究
(小林・益川理論)が出されました。私はその1年後に大学3年で、益川先生の「物理数学」という科目の講義を聞いことがありました(単位は取らなかったと思う)。
しかしあれは授業ではなかった気がします、失礼ながら。益川先生は授業時間中の黒板に、自分が考えている問題を書きながら、その意味を図解で説明して、腕組みしながら「ここが分からないんだよね」、と言っておられました。

なんという講義。学部3年生に分かるわけなかったと思います。しかし今も
その時の光景は、忘れられません。私としてはあんな一般的で抽象的なことが、「問題」として、問題になるんだと、ポカンとしていました。しかし忘れられない経験になりました。

その22年後の1995年に、益川先生はゲージ理論の一般論に関する解説本を
書かれました。この本は、いわゆるゲージ理論(素粒子の場の量子論)と、
アインシュタインの一般相対性理論(これもゲージ理論の一種と捉えられる)との関係に関する一般向け啓蒙書でした。
https://www.iwanami.co.jp/book/b266005.html

一般相対論といえばマクロな重力に関すること。ゲージ理論は素粒子。
「問題」を捉えるとはこういうことかと、妙に感心した ことを今になって
思い出します。益川先生の「問題」に立ち向かう姿勢は、私が大学3年の時に感じた情景と、同じでした。


3)益川先生の「ゲージ理論の理解」に関する補足

もちろん物理屋であれば、一般相対性理論がゲージ理論の一種であることは、一応「誰でも」知っている、あるいは聞いたことはあると思います。しかし益川先生はその本で、そのことをさらに一般化して、物理学を幾何学として捉える、つまり物理学の幾何学化、という考え方を提案していたと思います。こういう視点は斬新だと、私は思った次第です。

みなさん、今時の授業で習われたと思いますが、ゲージ変換というのは、場の演算子の位相を(全空間で一斉に)変えても、何も変わるわけない、という当たり前の事実、つまり変換に関する不変性、を数式で書いたもの。これはさらに、場所場所で位相の変化が一定でなくても、いいでしょ、という
当たり前の事実を、数式で書いたもの、これが、いわゆる局所ゲージ変換。
今の全ての理論(あるいはその元のラグランジアン)がゲージ理論だというのはそういう意味でした。そのことと、幾何学とを結びつける、という発想
だったと思います。

この事実から、一般相対性理論も、素粒子のゲージ理論も、1つのラグランジアン密度Lの、個々の項として書けてしまうわけです。(いうまでもなく、Lの4次元積分が作用Sになります。このSの変分=0が個々の法則の方程式です)。それで橋本幸士さんが、このSの式をデザインされたという、阪大の人気商品、「宇宙を支配する方程式」の「指輪」(笑)もある。
https://www.ameet.jp/column/2343/

とにかく、益川先生が1995年に書かれた、物理学の幾何学化という趣旨のことは、今や当たり前になってしまいました。


長くなったので、この辺りにします。
長文、失礼しました。


私は益川先生にも、間接的ですが色々と、教えていただいたと思います。
ありがとうございました。
益川敏英先生のご冥福をお祈り致します。



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