麻雀が楽しいということと麻雀の勉強をするということ

麻雀のゲーム性

麻雀というゲームは運の要素が介入する余地の多いゲームです。配牌は選べませんし、次に自分がどの牌を引くのかもわかりません。良い配牌を引けるか、良いツモに恵まれるか、というのは運でしかありません。

一方で実力が介入する余地も勿論あります。例えば自分が手牌から何を切るのか、相手の捨てた牌を鳴くかどうか、あるいはテンパイしたときにリーチをかけるかどうか、こういった部分は明確に自分が選べる部分です。能動的に選択できるので、こういった判断の良し悪しが実力とか雀力という部分になります。

麻雀は運の要素の介入があるため、実力のあるプレイヤーがどんなに良い判断を徹底しても配牌やツモに恵まれなければ普通に負けます。逆に実力の無いプレイヤーでも配牌やツモに恵まれて勝てることもあります。初心者がプロに勝つということもあるのが麻雀というゲームです。

ただし、長い目で見ると麻雀は実力がある人が勝ち越すゲームです。実力介入の要素がある以上、その部分の優劣がゲーム数を重ねるごとに浮き彫りになります。100戦程度では実力通りの勝敗にはならないことも多いですが、例えば同じメンツで10000戦行えば、実力のある人が勝ち越して、ない人は負け越すという構図になります。

このようなゲーム性の麻雀と対照的なゲームに将棋があります。将棋は実力が純粋に表れるゲームです。ある程度の実力差があればそれはゲームの勝敗に如実に表れます。プロが一般人と勝負して負けるということはまずないゲームです。

ちなみに麻雀のようなゲームのことを「不完全情報ゲーム」と言ったりします。相手の手牌や山など、見えていない情報が含まれるゲームという意味合いです。同様のゲームにはポーカーやトレーディングカードゲームがあります。

将棋は逆に「完全情報ゲーム」と言われ、相手の駒も相手の指した手も明確に見えるという意味合いです。同様のゲームは囲碁やオセロでしょうか。

不完全情報ゲームはどうしても運の要素が介入してくるので、勝敗が実力通りの結果にならないことが往々にして起こります。それに比べ、完全情報ゲームは勝敗に実力が如実に表れやすいです。

とにかく重要なのは、麻雀短期間では実力が反映されにくく、長期になるにつれて実力が反映されやすいゲームだということです。

麻雀の魅力は?

さてここで一旦麻雀のゲーム性は置いておいて、今度は麻雀の魅力は何か、という話をしてみます。

例えば趣味が麻雀という方に「麻雀の楽しいところ・魅力は何ですか?」と聞くとどのような答えが返ってくるでしょうか。

例えばそれは「高い役をあがれたときの喜び」かもしれませんし、「最後まで勝負がわからないドキドキ感」かもしれません。あるいは「悪い手牌を育てること」かもしれませんし「麻雀をしながらのコミュニケーション」に楽しみを見出している方もいるでしょう。「麻雀は人生の縮図」という方もいます。多くの人が様々な楽しみ方をしていると思います。

その麻雀を楽しんでいる方の一部は、より「勝ち」や「強さ」に執着していくことになるかもしれません。ただプレイして楽しいというだけではなく、もっと強くなりたい、もっと勝てるようになりたいと思って麻雀をするようになっていく。いわゆるエンジョイ勢からガチ勢になるというケースです。

それに伴いそれまではただ打つだけで楽しかった麻雀が、負けて悔しいとか弱い自分が情けないというようなネガティブな感情を伴うゲームに変貌していきます。

麻雀の勉強とは

本格的に麻雀の勉強をしようとする方の多くは「デジタル」という概念を知ることになります。そしてさらに勉強を続けていくと、どうやら麻雀が強くなるという行為は非常に地道で地味な行為であるということに気づくでしょう。

というのも、麻雀が強くなるために必要になってくるのは(定義の差異はあるにせよ)「デジタル」と呼ばれるような統計・確率論的な考え方です。自分の判断の優劣を期待値として捉えその期待値がより高くなるような判断をしていく訓練が求められます。訓練方法は色々とありますが例えば戦術本を読む、何切る問題を解く、自分の牌譜を見返す、という方法が挙げられます。

その中で、例えば何切る問題を解くのなら「Aを切る場合とBを切る場合では受け入れ枚数を数えると2枚違うからAが有利」というような比較検討を行ったりします。「わずかな受け入れ枚数の差を比較して優劣を判断する」という地味な行為に取り組むことになります(より細かく言うと受け入れ枚数だけではなく打点やあがりやすさという指標の考慮も必要にはなりますが、細かく地味なものであることには変わりないでしょう)。

あるいは自分の牌譜を見返して、ベタオリの際の手順が微妙に違うとか、字牌の切り順の反省とかそういったことをしていくことになります。1ゲームから反省点を洗い出して勉強し、次は同じミスしないように心がけます。それを何度も反復することで判断の精度を上げ、実力の向上に繋げます。これもまた地味な作業です。

方法や量は個人差があるとは思いますが、麻雀の勉強とはどうしても地味な行動の繰り返しになってしまいます。

麻雀関連の2大コンテンツ

さてまた少し話を変えて、今度は麻雀漫画と麻雀プロ観戦についてのお話です。麻雀が好きな人の中で麻雀をプレイする以外にも麻雀に関連したコンテンツを楽しむという人も多いと思います。その代表格が麻雀漫画と麻雀プロ観戦です。

麻雀漫画

麻雀が好きな人の多くは麻雀漫画が好きだと思います。また、麻雀漫画を読んで漫画に興味を持って麻雀を始めた人も多いでしょう。

麻雀漫画の代表格と言えば「アカギ」と「咲」でしょうか。

「アカギ」は「カイジ」で有名な福本伸行氏の作品です。天才的な博才を持つ主人公「アカギ」と盲目の代打ち「市川」、裏社会の帝王「鷲巣」といった魑魅魍魎との戦いを描いた麻雀漫画の代表格です。一般的な4人麻雀の漫画というよりも、特殊ルールのもとで天才たちの超高度なイカサマ・心理戦の応酬が楽しめる漫画です。それゆえ麻雀のルールを知らなくてもそれなりに楽しめる漫画です。

一方「咲」はアカギとは対照的に麻雀が全世界的に普及した世界での高校(女子)麻雀部の戦いを描いた漫画です。それまでの「男性・ギャンブル・アングラ・イカサマ」といったイメージからは一線を画し、登場キャラクターのほぼ全員がかわいい女性キャラです。ストーリーも各高校の麻雀部の全国大会を描いたもので、ギャンブル性すらもありません。青春スポーツ漫画のようなノリといっても良いかもしれません。ただこちらも一般的な4人麻雀ではあるものの、ほとんど全てのキャラクターが特殊な能力(特定の牌を引きやすい、東場のみ強い等)を持っており、麻雀を介した能力バトルものであるとも言えます。

これら二作品は麻雀好きであれば少なくともどちらか一方は読んだことがあるのではないでしょうか。

咲、アカギもそうですが、麻雀漫画の多くは一般的な4人麻雀を淡々と描いているわけではありません。

多くの場合アカギのような「大金ギャンブル・イカサマ・裏社会」系の漫画であったり咲のような「能力もの(あるいはオカルトもの)」の漫画です。

基本的に麻雀の描写を現実的に描いてしまうと地味になりやすく、麻雀のギャンブル性を際立たせて登場人物同士の心理戦や駆け引きに重きを置きがちです。「ライアーゲーム」や「嘘喰い」に麻雀を足したような感じと言うと分かりやすいでしょうか。一戦の勝負で登場人物の命運が変わるような極限の勝負を描いていることが多いです。

麻雀プロの観戦

麻雀漫画と同様に、麻雀プロの観戦も麻雀プレイヤーにとってのメジャーな楽しみ方の一つです。

古くはモンド麻雀プロリーグから、最近ではAbemaTVでのRTDリーグが話題です。最近ではスマホでyoutube,AbemaTV,FleshLiveのようなサイトやアプリでも手軽に視聴することができます。ベテランプロ同士の熱い対局や女流プロの華やかな対局、自分の推しプロの動画を見るなど、プロ観戦も麻雀好きには馴染みのある楽しみ方でしょう。

またこれも麻雀漫画と同様に麻雀自体は詳しくないけどプロの観戦をするということもあり得ます。将棋ファンにも「見る将」という言葉がありますが、麻雀でも同様のファン層が存在するでしょう。勿論麻雀プロ観戦から入って、実際に麻雀に興味を持ちプレイヤーになるという人たちもいると思います。

麻雀漫画と麻雀プロ観戦の共通点

麻雀漫画と麻雀プロ観戦には共通点があります。それは「派手さ」と「短期決戦」です。

「アカギ」はそもそも天才・イカサマ・大金・大規模なギャンブルというような「派手さ」が全面に出ていますし、登場人物たちは何百戦も戦ってケリをつけるのではなく数回のゲームで大きな勝負が決します。

「咲」でも特殊能力を活かした麻雀という派手さ、麻雀部の大会という少ないゲーム数での勝負というように共通しています。ここでも、麻雀の技術よりも、登場人物の能力同士の戦いが主な見所です。

また、麻雀プロの対局も多くは数十回ほどのリーグ戦で昇級や降級が決まります。また、特に公開対局は視聴者が存在するので、いわゆる「魅せる」麻雀を打とうとするプロも存在します。ちなみに麻雀プロにはそれぞれのプレイングなどからの特徴を表した「通り名(キャッチコピー)」が存在しています。

これらの「派手さ」や「短期決戦傾向」は読者や視聴者からは歓迎されやすいです。

例えば「咲」の登場人物が全員特殊能力のない現実的な女子高生で、高校麻雀部の大会の様子を淡々と描いていくのであれば、なんの面白みもありません。それよりも「のどっち」のデジタル麻雀は能力者達にどの程度通用するのかとか、結局どの能力が一番強いんだとかを考えたりする方が楽しいです。

あるいは仮に麻雀プロリーグが5年間で2000戦をこなすという内容だとして、そのなかの1戦を応援したいと思える視聴者は少ないでしょう。何よりも5年間で2000戦をこなすリーグ戦というのは非現実的すぎますし、見てる側も興ざめします。

また、現実のプロ対局観戦にしても色々な個性・打ち筋を持ったプロがプライドを持って戦う様は魅力になりますし、「麻雀攻めダルマ」の通り名を持つ佐々木寿人プロと「卓上の暴君」瀬戸熊直樹プロ、「超攻撃アマゾネス」和久津晶プロがぶつかりあったらどんな激しい戦いになるのか、あるいはそこに「麻雀忍者」藤崎智プロが参戦したらどんな戦いの構図になるのか、というようなある種咲の能力者同士の戦いに近いワクワク感があります。

また、昨今話題のRTDリーグは各団体のトッププロが招待され参戦できる最高レベルのタイトル戦であり、団体の垣根を超えたオールスター戦のような派手さ、お祭り感も含めて大きな魅力となっています。

エンジョイ勢とガチ勢の垣根

「派手さ」「短期決戦」というのは麻雀を楽しみたいという人(エンジョイ勢)には魅力的なものです。一方で真剣に麻雀が強くなりたい人(ガチ勢)にとっては魅力的に映らないこともしばしばあります。そもそもガチ勢は「地味」な勉強や練習を積み重ね、「長期」でしか測れない実力を着々と上げていくことに興味を持っています。プロ対局に対して「数十回戦って勝者を決めるならほぼ運で決まるんだからその勝利に価値はあるの?」と疑問視する人もいるでしょう。

上達するのであれば、「派手さ」や「短期決戦」という概念は必要ありません、それどころか「ここ一番で大きなアガリを決めることこそが強さ」とか「本当に強い人は短期でもしっかり結果を出せる」というように麻雀のゲーム性の本質を見誤り、上達を妨げることにすらなります。

特に麻雀漫画や麻雀プロへの憧れを持って麻雀を始めたという方はそれらのコンテンツの持つ「派手」「短期でも強者が勝つ」というイメージを持ちやすいと思います。

そういった人たちがいざ「麻雀が強くなりたい」と思ったときにはこれらの考えは一度捨てないといけません。「オーラスで役満を作り上げて逆転するなんて強い」「実力派の超ベテランプロはやはり短期勝負でも強い」というような概念は麻雀のゲーム性から考えるならば正しくありません。「たまたま運良く役満がつくれた」「たまたま運良く短期でも勝ち越すことができた」の方がより正しい考え方になります。

エンジョイ勢とガチ勢が分かり合えないというのは色々なゲームに存在する構図です。ここではエンジョイ勢が良いとかガチ勢が良いとかという話をするつもりはありません。それらは考え方の違いでしかありません。ただ、もしもエンジョイ勢からガチ勢になりたいという人(特に麻雀漫画や麻雀プロ観戦をきっかけに麻雀を始めた人)は麻雀について少し考え方を色々変える必要があるかもしれない、ということです。

麻雀はギャンブル性のあるゲームです。そこは一見派手な世界に見えるかもしれません。ただ、これはもしかするとあらゆる物事に通じるかもしれませんが、もしも上達したいのならコツコツと地味に地道に勉強していくしかありません。













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