勇敢な笑顔の物語。「ご注文はうさぎですか?」10巻に寄せて
目つきの悪さと不愛想な性格をどうにかしたいと思い悩み、素敵な笑顔を振りまける人になりたいと願う、ある少女がいた。
都会出身の彼女が最初にラビットハウスで注文したのは、コーヒーと「笑顔」だった。いきなり真顔で言うものだから、単に驚いただけじゃなく、この子は一体どうしちゃったのかと少し心配したのを覚えている。普段から明るいココアちゃんならともかく、引っ込み思案で、誰かの背中にいつも隠れている風衣葉冬優という女の子が、顔見知りでもない店員を相手に堂々と笑顔を注文したのは衝撃だった。
もちろん、この時のフユちゃんは決して茶化しているわけではなかった。注文を受けたココアちゃんとリゼちゃんは、フユちゃんのその突然の行動に「これが都会のノリーー!?」と驚く。驚いたのは二人だけではない。ラビットハウスを出た後にもフユちゃんは笑顔の注文を続け、そのたびに周りの人たちの度肝を抜いてみせた。笑顔を研究する、という目的があってのこととはいえ、人に笑顔を要求するのは、それなりの度胸が必要だったと思う。言い換えれば、フユちゃんがどれだけ本気で自身の悩みを解決したかったかが見て取れる。緊張すると不穏な顔で周りの人を怖がらせてしまう。そんな厄介なコンプレックスと、フユちゃんは正面から向き合っていた。
ところで、なぜフユちゃんはこんなにも笑顔にこだわっていたのだろうか。本人が直接語っているのは、バイト先のオーナーに迷惑をかけないため、という理由だ。「私…目つき悪いし不愛想だから」「接客で悪い印象を与えたらオーナーに迷惑がかかる」。自身の接客に不安があり、その不安を解消するために、フユちゃんは周りの人たちの笑顔をお手本にしていた。それは紛れもなく本心なのだろうけど、一方で、フユちゃんの言葉には強い憧れの感情が滲んでいる。「私も、チノみたいにできるかな…」「千夜さんはいつも朗らかで…接客にも自信があっていいな」。誰かを笑顔にできる人。知らずのうちに、周りの人たちを笑顔にしてしまっている人。原作9巻のチノちゃんに言わせれば、それは「暖かさと夜明けを運べる人」とも表現できるかもしれない。見よう見まねで憧れの人たちに追い付こうとするフユちゃんは、さながら巣立ったばかりの雛鳥が親鳥の行動を真似するのに似ている。誰かを笑顔にするためには、まず何よりも自分の笑顔が素敵でなければならなかった。なぜなら、自分が目指す人たちの笑顔が素敵だから。フユちゃんにとって、それが唯一の答えだったのだ。
だから、千夜ちゃんが甘兎庵の「仮面接客」にフユちゃんを誘ったとき、その彼女らしい提案に微笑ましさを感じながらも、上手いな、と思った。「あんこは仏頂面でも私を気にかけてくれたの」。優しい言葉は、けれど今までの前提を全てひっくり返すほどの強い意味を持っている。笑顔が作れなくて悩むフユちゃんに、そもそも自分が上手く笑えなくても人を笑顔にできると示した。それはまさしく、発想の転換だ。その言葉が、フユちゃんの悩みを根本から覆しただけでなく、ありのままの自分を肯定してくれるものであったのは想像に難くない。自分は自分のままでいい、無理して誰かを目指す必要はないのだと。言葉だけでなく、フユちゃんは実際に甘兎庵での体験を通して、仮面でも人を笑顔に出来ることを知る。「自分は上手く笑えないけど、お客さんは笑ってくれた」。上面だけじゃ人の心は分からない、と千夜ちゃんは言う。このお話には、「マスクド・スマイルメーカー フユ」というサブタイトルが付けられたことが明らかになっている。笑顔が苦手なフユちゃんは、文字通りスマイルメーカーになった。
どれだけ救われただろう、と思う。フユちゃんの心に変化が生まれたことは後の話によく現れていて、11話では神沙姉妹との関係改善に成功する。チノちゃんがお風呂で相談に乗ったり、ボードゲームで助け船を出したりしたことがあったとはいえ、それまでフユちゃんと神沙姉妹との間には埋めがたい溝があった。一度は縮まりかけた距離が、ある事実の発覚により、どうしようもなく引き離されてしまったのが球技大会のこと。大企業の社長の娘と、その従業員という立場の難しさにフユちゃんが感じた絶望は、6話の最後のコマから読み取れる。真っ黒に塗り潰された背景は、フユちゃんの絶望を雄弁に物語る。それほどまでに大変な困難を、フユちゃんが乗り越えられたのは、自分に自信が付いたからだ。ありのままの自分を認め、欠点すらも自分のものとして素直に受け入れる強さがフユちゃんの心を支えたからだ。
欠点を直したい、と言う人がいる。けれど、それは果たして本当に直すべきものなのだろうか?フユちゃんが自身の欠点を受け入れることができたように、欠点というのは、考え方次第で認められるものがある。そもそも、人が持つ性質に、良いも悪いも、きっとない。それは個性の一つとして、誰からも否定されることなく、ただ、そこにあって良いものだ。他でもないフユちゃんの生き方が、私たちに教えてくれる。フユちゃんの自信が、今を生きる私たちの人生も肯定してくれる。
エイプリルフール企画「Seven Rabbit Sins」を模した夢の中で、フユちゃんは七人の悪魔と出会う。その一人である「嫉妬」の悪魔は、現実のチノちゃんと瓜二つで、そして、現実の彼女と同じように、寂しそうな表情をしていた。卒業後にココアちゃんが街を離れてしまうことを知り、寂しさを隠せないチノちゃんに対し、フユちゃんはある約束を誓う。「チノが辛い事あったら、今度は私が笑わせる…よ!」「マヤやメグやナツメにエルもいるよ…!」初期のフユちゃんでは考えられない、勇気に満ちた言葉ではないだろうか。この言葉の少し前に、フユちゃんは小説家の青山先生とブライトバニーで会っている。青山先生は、フユちゃんの緊張した顔に恐れおののいた。つまり、この段階になっても、フユちゃんの怖い顔は治っていないのだ。それでもなお、大切な友達に笑っていてほしいという思いと、「自分が上手く笑えなくても、相手を笑わせることはできる」という確信が、フユちゃんを突き動かした。加えて、チノちゃんを笑顔にするのは自分だけではない、という意思にも、フユちゃんの優しさがよく現れている。いざとなったら、誰かの手を借りる。自分でなくとも、あなたを笑顔にしてくれる人は必ずいる。マヤメグだけでなく、神沙姉妹すらも仲間に含めたその台詞は、四人への深い信頼があるからこそ出る言葉だ。誰かを笑顔にしたいという思いに、その目的が成就するかどうかに、自分が上手く笑えるかどうかなど気にする必要は最早どこにもない。
10巻の果てにフユちゃんがたどり着いた、「自己受容」という名の答えは、言葉にすれば四字熟語に収まってしまうシンプルなもの。けれど、その力は、暗い夜の海に光を差す灯台のように、きっとこれからもフユちゃんの道を明るく照らしてくれるだろう。
目つきの悪さと不愛想な性格をどうにかしたいと思い悩み、素敵な笑顔を振りまける人になりたいと願う、ある少女がいた。
不器用な笑顔は、けっきょく最後まで治すことができなかった。相変わらずフユちゃんは緊張すると人を怖がらせるままで、それでも彼女は、今の自分を否定せずに生きている。その勇敢な笑顔の物語を、忘れないように、いつまでも鮮やかに、胸の中に留めておきたいと思う。