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「何がないと死んじゃう」かを分かっておく

「何はなくとも」とか「何々がないと/誰々がいないと死んじゃう」などと、よく言う。
だが、本当だろうか?


マジで全てを失ったことのある人は、分かる話だと思う。
大切な人、自分の健康、まともな精神状態、家屋、食べるもの、水。
失って本当に困るのは私にはそうだ。
スマホ、という人もいるかもしれないが、これほど小さな単なる電子機器、たしかに時に人生を変えることもあるにはあるし、失くしたり壊れれば私も青くなりはするが。でも、それは一時的なショックに過ぎない。


何が一番大事か。
その対象を即答できるなら、その人は幸せかもしれない。その数が少なければ少ないほど。そして、それが目の前になくても満ち足りていられるならば。


けれど、その人は、おそらく想像したくもないような地獄を経験してもいるだろう。
失われて初めて、その物やその人がどんなに大切だったかを知るのが普通だからだ。
その苦しみに耐えかねて発狂したり心を閉ざしたり、命を絶つ場合もあるだろう。


地獄の季節は、何度かあった。それらをここでいちいち書き連ねることは意味がない。
ただ、失くした/亡くしたあとの地獄は、何度も自死を考えるほどだった。人生からの往復ビンタ、と書いた海外の作家さんがいたが、往復ビンタも一度や二度じゃ済まない人生もある。


「こりない人」というのがいる。
つまりはそんな辛い思いを経験しても、同じ過ちを繰り返して大切な宝ものをまた、失くす人だ。山ほどいる。
重要なのは、そうならないことしかない。生きて笑いたいなら、学び取る以外にない。他人の失敗や背中を見て身に沁みたりするお利口さんならいいが、人間はそう賢く出来てはいない。だからもう何千年も戦争をやったりしてんだけど。人が死ぬと悲しむくせに、人を殺すのもやめないものだ。


ここから先は、愛情に関してクサいとかウザいとか分からないとか理屈があったりするような方は、読み心地が良くないかもしれない。


私が命に代えても大切に思っていたのは、いくたりかの人だった。
しかし、彼らは、私と離れてしまったり、あるいは肉体の生命が止まった。


数年前、そういうかけがえのないひとを失ったあと、不思議な夢を毎晩見た。
あの、懐かしくてたまらない笑顔や手を見るのではなく、暗闇で色々、何者かに質問されるというものだった。哲学問答のようなもので、見た夢はその日のうちに意味が分かった。


主治医に「私マジで統合失調になっちゃった?」と怖くて訊いたが違うと言う。ほっといていいよ、意味は分からないけど。人間の脳っていろんなことするものだし。私にはその夢の意味は分からないけどね。


夢でのクイズは続き、私はいつも正解だった。でも起きると、さまざまな、シャレにならない案件で息も絶え絶えだった。公の機関に泣きつかなければならないような。生命も危うかった。何もかもが危うかった。


神頼みをする様になったのもこの頃で、パワースポットとかいいからとにかく、私は祈った。心がねじ切れそう。神さま助けて。


「お願い」と言ったのではない。
「助けて」と言ったのだ。
あのひとたちがいない世界なら死んだって構わない、ただあまりにも苦し過ぎるから助けてください、いい子になる、少なくともこんなに怖がった気持ちで死にたくない、そんなことのために生まれてきたんじゃないんだ!


そして、何もかもを失ったあとに、コロナというものと共に、最後の恋人がやってきた。
そういえばコロナは太陽に関連する言葉だ。愛情や恋と、それは似通っているかもしれない。ぬくもりと、浄化、包容、許容、喜び。そして焼き尽くす。
私はとうとう、長年の友であった恐怖と悲しみすら焼き尽くされてしまった。


水。食べ物。最低限。
そして小さな部屋。
最低限の家財。
最低限の衣類と小物。
その気になればバッグ二つほどでどこへでも行ける。そういえば私はいつもそうだった。生まれつきの難民のように。どこででも食べ、どこでても眠った。


新たな恋人は私の夫となり、その人生の常としてきた旅に再び行った。次に戻ったら、もう旅はやめて、私と猫を飼って遊ぶつもりだそうだ。一緒に出来るだけ長生きしよう。出来るだけ。そう言って。


精神、肉体的に続いた大地震は、私自身をふるいにかけていたらしい。
残ったものの少なさに、私は呆れて笑う。


愛するひとたちは、皆もう心の中に入れてしまった。
これまで出会った可愛い猫や鳥たちもどんな生き物も、草花も木々も、川も山も、みんな収まっている。
真ん中に、大事なひとの笑顔があって、それが私の顔に映る。


できることは、驚くほど少ないし、持てるものも驚くほど少ない。当たり前だ、ちっぽけな一人の人間に過ぎないんだから。
だからできることをする。小さなこと。掃除や家事、歌ったりとか、せいぜいそんなこと。

肝心なのは生きていること、最後まで愛して笑っていること。
その対象の生死にかかわらず、だ。
そして、自分に毎朝、笑って話しかける。
「今日、死ぬかもね。あんた大丈夫?もしそうでもOK?」
私は笑って答える。
「ウンへいき。もう何が来てもこわくないから。死ぬこともこわくない。だって中にダーリンもいるし、私みんな好き。人間以外も。じゃ、行こっか。キンモクセイが咲いてる」

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