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使用前世界、使用後世界、始まり始まり

以前、ここで別名で存在していた。

あまりに多くの事件が、皆さんの周りにも起こったこの一年。
加えて私には、それとは全く関係のない事件が多発した。同時多発どうしよう。
その「使用前の世界」と現在の「使用後の世界」、どうなった?


この4月で50歳になった。
見てくれは大差ない。がしかし、人生五十年とかつては言ったじゃん?内面はバリバリに変わるのである。どうしよう。

落ち着いて。と言う周囲の声をカッ飛ばし、コロナ寸前までテキトーに働き飲み遊び、先のことなど考えなかった。野垂れ死にすればそれも人生、ガンになったってそんなの普通。
念のため準備した遺言状には、「痛みさえ止めてくれればいい。延命葬式墓不要、残りのお金で散骨してね。余ったらユニセフに丸投げしといて」。
と書いておいた。夫も亡く、子どももなく、気楽なワガママ出戻りなんだ。好きにさせてちょーだい。


ところがである。
去年私は、ある五十がらみの男性と恋仲になった。
また恋をするなんて、と焦ったが、そういうことは待ったなしで理屈も法則もへったくれもない。
お互いバツつき独り身での気楽な付き合いと思い、そんな歳になってまでヤンキー臭の抜けない彼と、行きつ戻りつの中距離恋愛が始まった。
彼をT兄、と呼んでおく。

T兄は、そのヤンキーな人生のためか、何をするにも「おこ」であった。


怒りながらプレゼントをくれ、怒りながら優しくしようとする。
怒りながら男塾を説く。価値観は完全に昭和の頑固なのにTikTokを見せてきてウケようとしたりもする。
普通なら引かれるよなあこの人、とは思ったのだ。美学の方向性も完全に私と合わないし、自分だけは得したいというズルさも腹が立った。ので、一回、本気で顔面を噛んだら、ものすごく怯えていた。

そんなT兄にもはっちゃけ中年女の私にも、等しくコロナ世界はやってきた。
そして私は激しめな更年期障害、ホットフラッシュと体の無理が祟り、仕事であった清掃職を辞した。
暑いよー。体痛いよー。フギャー。とねこ泣きしていた私を、なんとT兄はこの田舎の町に呼び、奇妙な同居生活が始まったのである。

彼は私をにゃ子(現在飼ってはいないがお互い大の猫好きである故)と呼び、私はなんだかまた主婦みたいなことになり、コロナ前の世界は遠くに流れてかすんで消えた。


現在、彼は職人として遠方に長期出張している。
たくさんのケンカの日々。
たくさんの修羅場。
それでも不思議な恋は、私をマダムにも小さい子どもにも猫にもくるくると変える。
そして、不器用だけど誰よりも純なT兄を、私は直球で慕っていた。彼は私を好きじゃない、というフリを必死でしていたが、出発が決まって、私たちはついに折れた。

結婚を決めた。


私は彼を送り出した。建物群は巨大、工期は長く…けれど待つことにした。
これが人生最後の恋なのだろうか。

てか、いつまで生きられるんだろう。
亡夫は41歳で死んだし。私だってT兄だって、もうわからない年頃だ。50ぐらいって、そういうことを考え始める。

それなのに、こくんとした。覚悟した。
そして、これまでは飲んでは無茶してばかりいたくせに、生まれて初めて、もう少しだけ、長く生きていたいと思うようになった。


基本はお外に出ない。出る時はきちんとマスク、手洗い、おうちをキレイに、健やかに。戦隊モノにダンスに音楽に、野の花を生けて俳句詠んでテレビ見て笑って、お料理も。楽しむことは盛りだくさん。新しい旦那さんが帰ってくるまで、げんきで笑っていなくちゃね。帰ってきたら何して遊ぼう?しゃぼん玉や、教えたら中々筋のいいT兄との俳句大会、セミ取りもいいし、釣りも教わりたい。野球も観たい。コロナとは全く関係なく、恋によってたまたまそんな時期に移住したここは、そういうことがふんだんに楽しめるパラダイスなのだ。

私はこの小さな、神社さまと田んぼと川のある町にも、彼と同時に恋してしまった。



50の声を聞くとともに、家にこもり、心の中の皮がすっぽり抜けた。新しい世界には、新しい皮が要る。
新しい皮で、いつだって、なんにだって、恋をしよう。やっぱ歳は取るものだ、そして全然関係ないな。


さて、今日は何をして遊ぼうかな?

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