『アイドルマスターシンデレラガールズ』ウサミンPに「夢見りあむが分からない」と聞かれた話

先日弟と『アイドルマスターシンデレラガールズ』の話をしていたところ、こんなことを聞かれた。

「なぜ夢見りあむが人気があるのか全然分からない。SSR引いてコミュまで読んだけど、全く理解できないので解説して欲しい」

弟は『アイドルマスターシンデレラガールズ』が好きだ。ただ彼はライブには行かないし、Twitterなどで『アイドルマスターシンデレラガールズ』の話をするわけでもない。そもそもやっているSNSはLINEぐらいで、それも連絡用といった意味合いが強く、現実世界におけるこういった話の相手は大体私とすることが多い。
弟が好きなアイドルはウサミンこと安部菜々さんだ。曰く「夢を諦めずに頑張り続け、今もなお夢(=アイドル)を叶え続けているところが良い」らしい。

「アイドル・安部菜々の物語に惚れ込んでいる」

一言で言えば弟の安部菜々さんへの思いはそういうところになると思うが、そうした部分を知れば知るほど「そりゃ安部菜々さんのそういうところに思い入れがあるのなら、夢見りあむは理解できないだろうなぁ」と思わざるを得なかった。
なぜなら夢見りあむは安部菜々さんの物語とは真逆の方向性に位置する存在だからだ。

前述したように安部菜々さんは「夢を諦めなかったから夢を叶えることが出来て、現在進行系で夢を更新し続けているアイドル」だ。
おそらく「選ばれないかもしれない」「才能なんてないのかもしれない」という不安感をずっと抱いていただろうし、周囲の夢追い人が夢を追う物語から卒業していく中で自分の事を振り返ることも多々あっただろう。
しかしそれでも諦めずにアイドルという夢を追いかけ続けてきたから、安部菜々さんはアイドルとして輝いている。諦めなければ夢は叶うのだと。
安部菜々さんはそんな綺麗事で理想論で青臭くて、でも「そうあってほしい」という願いを体現する存在なのだ。

ただ夢見りあむはそんな安部菜々さんとは違う。
「アイドルの素晴らしさを強く理解している」という点では同じであるものの、彼女は「自分はアイドルにはなれない」と最初の段階で諦めているキャラクターだ。
「選ばれないかもしれない」ではない。夢見りあむは自分が「選ばれない側の人間である」と思い込んでいる。「自分にアイドルの才能がある!」だなんて欠片も信じていない。むしろ「自分の可能性」なんてものには懐疑的だろう。「何者にもなれない」という無力感をその胸に宿した存在、それが夢見りあむなのだ。
そんな彼女もプロデューサーに見出された事でアイドルの世界に足を踏み入れる事になるのだが、ここで大事なのは「夢も自分の可能性を欠片も信じていないのに、他者から機会だけ与えられてしまった」という点である。
安部菜々さんは「夢を諦めなかったら機会を自分の力で掴む事ができた」のに対し、夢見りあむは「最初から諦めていたのに、機会が向こうからやってきた」のだ。
そう、存在意義(ひいては二人の背負う物語)の殴り合いである。

夢を諦めなかった者と最初から「私には無理」だと諦めた者。
自分の夢を掴み取った者と、他者から与えられた者。

前者の物語を尊ぶものにとって、後者の物語を理解しても魅力的だと感じにくいのは当然のことだろう。逆もまた然りで、後者の物語に魅力を感じる人間は前者のことを理解しつつも魅力的かというと、前者よりは一つ下がったところに置くんじゃないかなぁと思う。
なので「ウサミンに強い思い入れがある弟からすれば、夢見りあむ理解できなくても当然だなぁ」と私は思ったのだ。

ということをざっくりと説明したところ、「なるほどなー」と納得されたようなのだが、私には疑問が残る。
なぜ私に聞いたのだ。
そういう話が出来るのは弟の周辺では私だけとはいえ、こちらの主戦場はアイカツ!シリーズとプリティーシリーズなどの女児向けアニメ、最近作業用BGMにしているのはWUGとフランシュシュ(ゾンビランドサガ)とワルキューレ(マクロスΔ)である。
少なくとも、私は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』の熱心なファンじゃないぜ!? どちらかといえば

「だって総選挙で夢見りあむに入れてたじゃん? 好きなのかなーと思って」

り、りあむー!!!!(入れた理由は十年来の友人が述べた「夢見りあむって指原莉乃でしょ」という理屈に「な、なるほどー!!!」となったからです)

プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。