アニメ『アイドルマスターシャイニーカラーズ』を見た。難しい作品だった。

事情があって、アニメの『アイドルマスターシャイニーカラーズ』を見た。なるほど。これは確かに言語化しにくい作品だな、と思った。
『アイドルマスターシャイニーカラーズ』を映像化する際にまんきゅう監督を始めとするアニメスタッフが目指した方向性は「実写的な画面/映像作り」なのだろう。
元々原作である『アイドルマスターシャイニーカラーズ』は「実在性=我々の現実と作品世界が地続きがある作品作りをしている」と語られる事が多い。
この日本のどこかに彼女達がいる街があるのかもしれない。
彼女達と街ですれ違うような体験ができるのかもしれない。
そうした性質を持つ作品を映像化するのだから「アニメ的」よりは「実写的」にした方がいい。その方が作品の持つ魅力はより発揮されるだろう。
まんきゅう監督達がそこまで熟考を重ねたかどうかは分からないが、実際に出来上がったアニメ『アイドルマスターシャイニーカラーズ』は、アニメ的な映像作りをしていない。どちらかと言えば文芸的で、映像的には実写のようなものになっている。
一つ一つの絵や音や言葉でキャラクターの体温や呼吸が伝わるような映像を目指していたのかもしれない。
ただ個人的には「そこまでやるならもう少し、もう少しだけキャラクターの表情芝居に踏み込んでよかったのでは?」と感じている。
劇伴も台詞もなしの表情芝居だけでキャラクターの繊細な感情を表現しようとした事自体はいいのだが、それが前のめりになって一生懸命にならないと読み取りづらかった。
映画館ならまだいい。余計な邪魔が入らない空間で、自宅よりもはるかに優れた音響設備がある映画館ならそこまで苦じゃなかったのかもしれない。
ただ映画館よりはるかに見劣りする環境では「積極的に読み取ろうとして伝わる」ぐらいになってしまう。
そういう意味では惜しい作品だと思うのだ。
だってやろうとしたこと自体は間違ってないのに、それをやるには芝居が追いついていないのだから。
「実写だったらこの辺全てが解決していたかもしれない」と思えるぐらいには「これがやりたいんだろうな」が伝わってくるだけに、「もう少しだけ表情芝居が出来ていたらな……」を感じてしまう。
「放課後クライマックスガールズとかアンティーカとかアルストロメリアとかを物語に入れるより、イルミネーションスターズに話を絞り込んだ方が面白かったのでは? というか、各ユニットに1クールとはいかないまでも半クールぐらいの物語を任せるぐらいのことをやってもよかったのでは?」とか思ったりもしたが、それ以上に「届きそうで、届かないもどかしさ」がある一話に感じた。
あと、これは本当に余談なのだが、この方向性で一番面白いのは間違いなくストレイライト……というか黛冬優子だと思うので、そっちメインで1クールほどやらない?

プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。