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『ウマ娘』三大文学を読んだ

『ウマ娘』三大文学!
それは『ウマ娘プリティーダービー』の育成シナリオの中でも「もうこれ文学でしょ」と言いたくなるような素晴らしい育成シナリオのこと!

新しい育成ウマ娘が実装されるたびに「今度はどんなシナリオになっているのだろう」と競走成績を見ながら楽しんでいるのですが、先日やっと特に評価されている育成シナリオを読むことが出来たので、三大文学について紹介しておきたいと思います。

記憶に残る走り、ファインモーション

三年。
その三年が終わったら母国で王家の存在として生きることが決まっているため「どれだけ活躍しても記録には残らない」と考えていた少女が、「楽しい」と言う気持ちを見つけ、「記録に残らなくても、記憶に残るウマ娘に」と走り切る物語。
ファインモーションの育成シナリオを要約するとこういう物語で、「皆と一緒に走りたい。どこまでも走り続けていきたい」と思いつつも「記録には残らないから」と諦めてしまっているファインモーション。そんな彼女が、運命を受け入れる事で「記録に残らなくてもいい。自分のこの姿が誰かの記憶の中に残り続けるのならそれでいい」という「走る意味」を見つけ、三年間を駆け抜けていく姿はあまりにも美しく、そして儚い。
シナリオの完成度に関してはおそらくトップクラスで、ファインモーションが悩む姿、受け入れる姿、エアシャカールを始めライバル達の中に残していく足跡の美しさに読んでいる最中も、読み終わった後も馬券を買える年齢の人間でも一日体調を崩すぐらい泣きました。四週楽しめるのも凄い(最後のレースは四人いるライバルのうち、誰と戦うかでシナリオが変わるので)。
そもそもモデルになった競走馬は子供を期待されながらも「作れない体」だったんですよね。競馬はブラッドスポーツ、つまり血を受け継がせていく事も大事な事だと思うんですが、「ファインモーション」の血はそうした事情から記録には残っていないんですよ。
でも「ファインモーションと言う競走馬が確かにこの世界にはいて、その走りは凄かったんだ!」と記憶している『誰か』がいた。その『誰か』がいたから『ウマ娘』と言う作品に参加して、多くの人達の目に触れ、愛される存在になった。
そういう「記録には残らなかったけれど、記憶には残った競走馬」を『ウマ娘』が「記憶に残り、誰かを支えるようなウマ娘になりたい」と願い、三年間でその走りを全うする結末にしたことに感動しました。

自分のために生きる、アドマイヤベガ

「死んだ妹の代わりに、私は走らなくてはならない。結果を出さなくてはいけない」と決めたアドマイヤベガがトレーナーやライバル達、そしてルームメイトのカレンチャンと関わり、ある出来事を経て、自分のために走って我儘に生きれるようになる……という育成シナリオ。
アドマイヤベガは「本来なら私が死んで、妹が生まれるはずだった」と考えているので自罰的だし、自分のことを一切顧みない。オーバーワークだろうが関係なく、ただ「死んだ妹の代わりに走る」。
唯一「アドマイヤベガ」という存在になれるのが妹と語り合う満月の夜の天体観測の時で、「自分なんか消えてしまえばいい」という思いで走る姿は痛々しいんですが、菊花賞のあるイベントにより「妹の代わりに走る」を辞めて「妹のために。それ以上に自分のために。私は走ろう」と心に決めて、不器用なりに「自分のために生きる」を始めていく。
そうした「少しづつ自分のために生きる」を始めていくアドマイヤベガの姿と、その活躍が認められて「アドマイヤベガ」と言う存在になっていく展開が本当に上手で。
グッドエンドの締め方は「アドマイヤベガの生き方を始めて一歳」という一つの節目を迎えたからこその結末なのも最高でしたが、競走馬アドマイヤベガ自体は菊花賞が最後のレースになってるんですよね。
だから『ウマ娘』のシニア級以降(丸一年分ぐらい)はifなんですけど、そのifを成立させるための「アドマイヤベガの運命を誰が引き受けるのか」は映画のクライマックスにしても良いぐらいにドラマチックで、素晴らしかったですね。
そこから「不器用なりに頑張ってみる」を一つ一つ確認できるのも良く、そのおかげでエピローグで見た夜空に双子星を見えるぐらい澄んだ空気を感じました。

思い込みをぶっ壊す、メジロアルダン

硝子に例えられるような繊細で壊れやすい脚を持つメジロアルダンが、同じ体質を持ちながらも大成した姉のメジロラモーヌの影を振り切り、ヤエノムテキやサクラチヨノオーといったライバル達とのクラシックを経て、伝説的『怪物』オグリキャップに挑む。
メジロの冠名、姉メジロラモーヌの存在、同時期にオグリキャップが活躍などモデルになった競走馬的に話の軸になる要素は多いんですが、『ウマ娘』のメジロアルダンの育成シナリオは高い構成力で全部採用して、「メジロアルダン」を魅力的な存在にしていたと思います。
ジュニア級辺りでは「姉メジロラモーヌの影を追いかけている」と言う描写がされており、「メジロラモーヌの妹からメジロアルダンへ」の意識変革が面白いんですが、これがクラシックになるとサクラチヨノオーやヤエノムテキと言ったライバル達との激闘と交流の日々が面白くなっていく。
お互いを認め合い、競い合い、ともにクラシックの栄光を追い求める話は「世代」の面白さを感じさせてくれるんですが、シニアに入ると今度は「同時期に大活躍していたオグリキャップの伝説へと挑戦する」になる。
その中で「メジロアルダンが唯一武器に出来るものは何か」と言うと、トレーナーやライバル達と共に作り上げた「思い込みをぶっ壊す」という経験なんですよね。
それが最初から貫かれており、最後にオグリキャップを倒して「硝子の脚」から「硝子細工のような煌びやかさを持つ走り」に昇華されている。
この詰め込んでる感を感じさせない美しい構成、凄いですね。

血統とは何か、マンハッタンカフェ

ウマ娘三大文学と言ったが三本とは言ってない。
トレーナーやアグネスタキオンの協力を得て、自分にしか見えない『お友達』の指し示す向こう側を目指すウマ娘マンハッタンカフェの育成シナリオはとにかく難解。マンハッタンカフェ自体が口数が多いタイプではないし、物語の中心に置かれた『お友達』は姿も正体も最後まではっきりしないので、すっきりした展開にもならない。
それでも私が「三大文学」と述べるのは、マンハッタンカフェの育成シナリオが「ウマ娘とは何なのか」「競走馬では大事とされている『血統』は、『ウマ娘』ではどういう存在なのか」を史実の要素を盛り込みながら描き切っている点に尽きます。
ハッキリ言います。「競走馬に詳しくなればなるほど、マンハッタンカフェの育成シナリオは滅茶苦茶面白い」です。
「なぜこうなったのか」というと、モデルになった競走馬マンハッタンカフェが父親のサンデーサイレンスに激似だからなんですが、このサンデーサイレンスは現在の競馬では超重要な存在でして……。
G1レースの出走馬とか確認していると大体の競走馬に父親とか祖父とか曾祖父とかにサンデーサイレンスの名前があるレベルで、活躍している競走馬なんですよ……。『ウマ娘』だとそれこそゴールドシップとかスペシャルウィークとかもそうですし、アグネスタキオンもそうですし。
だからサンデーサイレンス激似だったマンハッタンカフェで、登場人物の大半がサンデーサイレンスの血を引く者達で「血統」について描くのはしっくりくる。
「血統とは何を示すものなのか」をここまで真面目に考えていた事にも圧倒されましたしね。その答えも「俺になって俺を超えてくれ」というのもシンプルでいい。
「分かる人にだけ分かってくれ」と突き放しているシナリオではあるんですが、ある意味では『ウマ娘』運営からユーザーへの挑戦でもあるので、興味が湧いた人には読んでほしいシナリオですね。

もっともっと文学を

まだウマ娘三大文学でもスイープトウショウは読めてないんですよね。
既に読んだ人によると、スイープトウショウの育成シナリオは「牝馬の近代史」になっているらしく、最後はアーモンドアイにも繋がるらしいので読みたいんですが、現状だとすり抜けを狙うしかない。厳しいですね。
最近読んだものだとヤマニンゼファーも凄かったです。
ヤマニンゼファー自体は「風になりたい」と本気で語るちょっと不思議なキャラなんですが、ライバルとしてシンボリルドルフへと挑むトウカイテイオーが配置されていることや「マイルの皇帝」の存在から考えても、テイオーと同じ父親超え。すなわち「ニホンピロウイナーへの挑戦」の話なんですよね。
こういう「それと具体的には明言しないが、どう考えてもそれ」は、最近の『ウマ娘』では珍しくないんですが、ゼファーはテイオーの配置でそれを強化しているので凄かった。
このように最近の育成シナリオは大体面白いので、チャンピオンズミーティングが終わった直後の凪の時期にでも読み、そして自分だけの三大文学を探していきたいですね。

プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。