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『ウマ娘』ゲームで描かれるケイエスミラクルの危うさと、トレーナーの向き合い方が良かった。

先日三周年を迎えた『ウマ娘プリティーダービー』で、ケイエスミラクルを引く事ができた。セレクトステップアップガチャで設定していたことから、ポロッと出てきただけなのだが、舞台組で未所持だったのがケイエスミラクルだけだったので素直に嬉しい。
またその育成シナリオは傑作では?」と聞いていたことも、ケイエスミラクルが引けて嬉しい理由の一つ。UAFの攻略の流れの中でようやく読むことが出来たのだが……結論から言えば、聞きしに勝る凄さだった。
ただ読んでいるだけなのに「助けてくれ」と声に出してしまうほどケイエスミラクルの強い想いに胸を締め付けられたし、彼女がトゥインクルシリーズの三年間を駆け抜けた後の姿が美しかった。思わず体調を崩しかけたほど、素晴らしい物語だった。
といっても、ケイエスミラクル自体は舞台版と大きく変わっているわけではない。
幼い頃から身体が弱く、外を走ることも出来ず、両親や主治医の支えでようやく走れるようになってトレセン学園にやってきた。その目的はG1勝利を上げることで支えてくれた人達に恩返しがしたい。そのためなら何でもする。
そういうウマ娘であることはゲームアプリにおいても変わらない。物語上のターニングポイントになるのが「スプリンターズステークス」であることも、舞台版と全く同じである。
ではゲームアプリ版の何が良かったのかというと、「ケイエスミラクルとトレーナーが一対一の関係性である」という点に尽きる。舞台版ではケイエスミラクル一人が背負っていた事が、ゲームアプリではトレーナーも背負う罪であり過ちであり、そして走る理由になることだ。
具体的な話としては「ケイエスミラクルのG1勝利への強すぎる想い」だろうか。
舞台版でも描写された「G1に勝利して恩返しが出来るなら、この足が砕けても構わない」とする危うさはゲームアプリでも存在している。しかしゲームアプリで突きつけられるのは「その危うさに気づかず、想いのままに走らせてしまったトレーナーの罪」である。
「恩返しができるなら死んでも構わない」「このG1レースに勝てるなら今日が最後のレースになってもいい」「自分には価値も意味もない。だからせめて、今も、今までも支えてくれた人達に恩返しをしたいんだ」とするケイエスミラクルの想いに気づく機会はあったのに、トレーナーはその危うさにまで気が回っていなかった。
それを両親や主治医とのやりとり、ケイエスミラクルの過去などを追加して「トレーナーも同罪である」として描き出したのがゲームアプリ版なのだ。一対一。バディのような関係性のウマ娘とトレーナーだからこその物語に落とし込んだことがまず称賛に値するのだが、その後のトレーナーの動きも秀逸だ。
なぜなら「スプリンターズステークスに出たい。これが最後で構わない」と主張するケイエスミラクルに反対し、舞台版では(そして史実でも)出走したスプリンターズステークスの出走を回避するのだから。
その後の物語については実際に読んでほしいが、あれほどまで「今しかない」「今だけあればいい」と主張していたケイエスミラクルが未来を語るシーンは最高だった。
あと一つ、付け加えることがあるとすればダイタクヘリオスだ。
ケイエスミラクルの育成シナリオにおけるダイタクヘリオスは名脇役である。
ケイエスミラクル以前から実装されている、メジロパーマーやダイイチルビーの育成シナリオでもダイタクヘリオスは「名脇役」と呼ぶにふさわしい働きをしているのだが、ケイエスミラクルの育成シナリオにおけるダイタクヘリオスはもう満点である。
スプリンターズステークス後のあそこのシーンに一枚絵がないことがあまりにも惜しい。一枚絵があったら一生忘れられないシーンになっていたかもしれない。それぐらいのものをダイタクヘリオスが見せてくれた。ありがとうダイタクヘリオス。
そんなわけで、ケイエスミラクルも新三大文学の一つに入れていきたい。
☆3交換券で指名するのもありだと思う。短距離だと普通に強いのもよし!

しかしここで「出力が高すぎて、体がついて行かない競走馬」の話をされるとは……。




プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。