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さざなみが優しいこの夜だけでいいから そっと心の片隅の思いを溢させて欲しい

私は人魚に心を奪われた、哀れで醜く悲しい娘だ。私はどうしたら救われるだろう。

このページを開いてくださった方の中に、子供の頃の夢を覚えている方はどのくらいいるのだろうか。私は、覚えている。人魚になりたかったのだ。そして冒頭の写真は、去年撮影していただいた私自身の写真だ。

今、その夢は半分叶った。そして残りの半分は永遠に叶うことは無いだろう。

私は真剣だった。子供の頃、湯船に浸かっては人魚に近付きたい一心で足首を交差させて重ねた。けれど私の足は尾びれには変わらなかった。それをする度腰から下に二本足が生えている事実と対峙し、泣いた。心と体が一致しないような苦しさだった。けれど健康な体で生活ができる事が何よりのしあわせなのだと言い聞かせては涙を拭う日々だった。

やはり私は真剣だった。この地に足のつかないふわふわの夢を現実にし、尾びれで水を蹴る瞬間を掴み取りたかった。

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そして学生時代、本気で人魚になりたい私はいろいろな情報を集めていた。そして辿り付いたのが、自分の好きな形や色の尾びれをオーダーメイド出来るmertailor社さんだ。この記事に載せた写真は全てmertailorさんの尾びれを履いている。私は意地でも尾びれを履いているとか、着ているといった表現はしたくない。けれど説明の際には履いていると言わなければならない。自分は人魚でない事をまた、こうして突きつけられる。人魚姫がもし最期の日、ナイフで自身の胸を刺し抜いていたら、こんな痛みがしたのだろうか。

時々、私の動画などを見た方から美しい人魚だとお褒めの言葉をいただく。ありがたい。うれしい限りだ。そう感じていただけたなら何よりだ。だが、心の奥隅に隠して置いてある感情がある。私は王子様に恋して泡になる人魚ではなく、人魚に恋して藻掻く人間だ。

苦しくて脱線してしまった。そして私は大人になり、社会人一年目になった年のお給料を貯めて、尾びれを手に入れた。私は人魚なので、尾びれを買うとかお金を貯めたとか言いたくない考えたくない……けれど私は人間なのでそうした手段で尾びれを手に入れるのだ。この時アメリカの会社を初めて利用した。購入した次の日、お昼頃クレジットカードの会社から連絡の電話をいただいた。ええ、昨夜アメリカで42万の買い物を一括でしたのは私です。怪しいですよね。私もそう思います。購入前に気になる事がいくつかあり、問い合わせを3度しても返答は無かった。それでも購入に踏み切った。母親が心配していた。その気持ちは自然な事だが、人魚にならないという選択肢など始めからなかった。ある日、私のオーダーしたと思われる尾びれの写真がmertailorのインスタに載った。それを見た私は飛び跳ねた。健康な足があるのでね。発送通知を受け取ってからは毎日まだかな、まだかなとインターフォンが鳴るのを待った。

mertailorさん。そして社長のEricさん。私に尾びれを与えてくれてありがとう。私が自我を持った時から心を寂しく飾った痛みが、あなた方の生み出す夢の製品のお陰で、優しく和らいだ。これはあなたたちでなければ出来なかった事だ。
ちなみにmertailorさんの他にも、尾びれを作っている会社はいくつかある。もしあなたが人魚になる夢を抱いていたら、ぜひ理想のマーテイルを探し出して欲しい。

インスタやSNSを覗くと、mertailorやマーメイディングのタグを付け、人々が楽しげに海やプールで撮影している写真が目に入る。

私には一つ不思議な事がある。この人たちは心の底から満たされているのだろうか。私は人魚の格好をしたいのではない。人魚の姿を真似ても、私は人間だ。私は。私は。

私は人魚になりたいのだ。

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例えば私の望む人魚は、イルカのようにすっと胸までを水面に覗かせる。人間は体を自由に水面に押し上げる事は出来ない。海やプールで試して欲しいが、立ち泳ぎをした状態からスカーリングをやめたら、きっとあなたの体は顎から上くらいしか水面に出ないだろう。私と同じ人間だからだ。いや、これはよくない。危険なので試さないで欲しい。

例えば私の望む人魚は、波が足に当たるとすっと人魚の姿をとる。それは望んで操作する事だ。波を受けても立っていてくれても素敵だ。時々彼女たちは人間の姿をとり、人に紛れて過ごしている。人間とは違う力を持つので、そのくらいはさらりとやってのけるのだ。そういうのがいい。でも彼女たちが人間に惚れる事など稀だ。もしそんな事があったら祝福するが、彼女たちの心は海に向いている。そういうのがいい。

例えば私の望む人魚は、私たちと違って膝の関節がない。私は厚いシリコンの尾びれを”着て”も、膝のラインが浮き出てしまう。彼女たちは軟骨魚類のようなしなやかさで、尾びれを自由に動かすのだ。私の望む人魚。私がなりたかった人魚。

インスタに美しい人魚の動画や写真を載せる人々は、本気で己が人魚ではない事を嘆いて、首を掻き毟りたいような、意識の海で静かに溺れていくような、全ての力が抜けるような絶望を、味わった事は無いのだろうか。結局そんな問いを投げかけても、存在するのは個人個人の感情であり、マーメイディングをしている全ての人の総意などありはしない。私はまた、理想から滾れ落ち、昏い海を溺れていく。

今徐々に人々が外出を始め、それと同時に感染が広がっている。私には私の事情があり、それを守る事が大切な人を守る事になるので、少し退屈で苦しいが、缶詰生活を送っている。そして篭りきりの日々の中、SNSで美しい人魚さんたちの写真などが流れてくるのを見て、うらやましく思い、そして聞いてみたいような、絶対に触れてはいけないような気持ちで眺めている。

人魚の格好をして泳いでいる私は、自分が人魚ではない事に絶望しているが、あなたはどう感じていますか?人魚の格好をしているだけで、心の底から幸せですか?人魚の格好をしている時、あなたは本当に人魚になりますか?

もし私が人魚の格好をしている時、心から人魚になる事が出来たとしたら、それは私が救われた瞬間だ。波と肌が溶け合い、鱗が本物に変わる瞬間だ。いつかその場所に辿り着くだろうか。辿りつきたい。私の夢だと思う。私は、人魚になりたいのだ。

余談だが私はモノフィンやフリーダイバーのライセンスを幾つか所有している。シリコン製の尾びれは20キロ程あり、素人がいきなり水に入るのは危険だ。きちんとした指導を受け、水中撮影やマーメイディングはリスクのある趣味と分かった上で行って欲しい。

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私は人魚になりたい。いつか”私の望んだ人魚”になれる日まで、音の無い昏い海を浅く、藻掻くように、太陽を探して泳ぎ続けるのだろう。私の心にはいつも海がある。その海には波と光しかなくて、とても透明なのだ。そして息が苦しい時には、その海の波が肌を撫でる感触を思い出し、心を慰める。今夜はなぜだか、波が優しい。

どんなに人魚に憧れても、私は人間だ。あなたと同じように。でももし心の海の色に鱗を染める事が出来たのなら、私は本当に人魚だと感じられるのかも知れない。

さざなみが優しいこんな夜は、その日が来る事を夢見てもいいような気がした。


https://www.youtube.com/watch?v=mtX2I-ifJ8M






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