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掌におさまる虹もあるんですね

こんにちは。

氷を残して飲み干してしまった後のコップを覗くと、そこには小さな虹がありました。思わず「わあ」と声を漏らし、写真をぱしゃり。結露で曇るコップの中に、太陽の光が射し込んできたようです。見つけることができてよかった。溶けゆく光を閉じ込めるため、瞼を閉じました。




こんなご時世だし、もともとぼくの暮らしはほぼ家の中で済んでしまうようになっているので、ずっと籠ってのんびり過ごしています。以前は馬鹿にならなかった移動時間や交通費もかなり浮いて、余裕のある日々です。ありがたい。

暮らしに余裕があると、心が良い具合に動くようになります。薄くかかった虹に気づけるし、不思議な形の石を見つけるのもお任せあれです。四葉のクローバーを見つけるのはいつまでも苦手だけど。


せっかく心がピンピンしているのに、外界のもの(オンラインではなくオフラインの)にふれる機会が少なくて悲しい。自由に動けないからこそ、余裕が生まれているのが皮肉です。

何も気にしないで人ごみの間をぬって「今の靴かわいいなあ」と目で追いかけたい。声を聞いて、それがあなたのものであることに喜びたい。マスクを外して香りを肺に詰め込んでみたりね。海を触って、手料理を食べて。
休養と準備運動を重ねているこの心を、どうにかこうにか泳ぎ回らせてあげたいなあと思うのです。




先日、珍しく外での用事があって久しぶりに電車に乗ったとき、面白いことに気づきました。向かいのシートに座っている人々をぼんやり見ているとき、無意識に輪郭を探っていたんです。

ぼくのTwitterを見てくれている人は知っていると思うけど、ぼくはペン画の練習をしています。noteのアイキャッチ画像もぼくが描いたものです。
写真を見ながら下描きなしで描いているのですが、このとき、対象の輪郭や前後関係に注意して、線を取捨選択しながら一発で描かなければいけません。

最近ずっとそういう描き方をしてきたから、電車に乗ったときもそういう見方をしていたみたい。これはとても疲れることなので、急いで目を閉じました。何もない自分の瞼に、さっきまで目の前にあったスーツの輪郭が映ります。真っ白な紙に線を引くときの感覚と同じ。このぼんやりと映る輪郭をなぞれば絵が描けます。


普段家にいるときは無意識にこんな見方をしていないはずなのに、外でこんなに忙しく目を動かしているのはどうしてだろう。もう二度と出会えない姿を目に焼き付けたいのでしょうか。電車の中のぼくは、今を大切にできていました。

じゃあいつものぼくは。今をどう過ごしていたっけ。

描くときのような見方を常に続けるなんてことはきつくて難しい(鬼滅の刃で例えると「全集中常中」のような感じです)し、別にぼくはそれを目指しているわけではなくて。
なんかもっと、目の前のことを大切にしたいなあと、反省したのです。

外に焦がれてばかりいました。頑張ればまだまだ、今の生活でも面白い気づきがあるはずです。心を錆びつかせているのはぼくだ。うおお、頑張るぞ、と思いました。



うおおと気合を入れたところで見つけた虹。幸先が良いですね。
瞳が七色に染まりきったのを感じて、ぱちりと目を開けました。なかなか進まなくて困っていた作品に手をつけようと思います。




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