まじめが損を見る社会に
私の身の回りにはまじめな人が多い。
話してて疲れるくらい、そんなところまで難しく考えてんの?って。
いい人なんだけどなぁ。もったいないのは、あんまりおもしろくないんだ。だから、周囲から応援されない。まじめでいい人なのに...。
そんな人ばっかり周りにいるのは、私自身がまじめクラスターだからとは認めたくないけど。
どこへ行ってもいいよと言われると困る
大学までってまじめにやっていれば誰にも文句言われないし、定期テストでいい点を取れば自尊心は保たれる。こうすればこういう効果があるというのが単一的なものさしの上で動いていたので、頭を使う必要がないっちゃない。
大学に入ると「何してもいいよ」「どこへ行ってもいいよ」って急にほっぽり出されて、本当の意味で誰にも文句言われない存在になる。
自分で頭を使った経験のない私にとって、大学は何もできないつまらない忍耐の時間だった。
大学を出てから一生懸命いい加減なやつに逆張りしたけど、やっぱり自分はまじめだなって思う。
おもしろくするのは自分にしかできない
都合のいい言語化がツイッターで流れてきた。
グッサって感じ。
まじめなやつは、常々自分という馬にムチを入れて走らせているから「いざっ!」ってものがない。いや、常に頑張っているから「それで許される」と思っている。「頑張ったのでごめんなさい」と言えばいいと思っている。
人生を楽しく好転させるには自分の頭で考えるしかない。
まじめなやつほど自分の人生に本気で向き合ってない。
その苦しみは「マジになるほどのものがない」という虚無感を生み出す。
生きること自体ゲームだったことに気づく
このまんまなんとなく延命的に生きるだけでは何のおもしろいこともない。
そんな時にお声をかけてもらったのが東京都府中市にある大國魂神社の一番大きな例大祭「くらやみ祭」映画化のお手伝いの話だった。
私が担当するのはクラウドファンディングと言って、広くインターネットを通して製作と広告の資金を集める役目だった。とは言え、全体の資金の中のほんの一部である。
映画のタイトルは『くらやみ祭の小川さん』。六角精児さんや高島礼子さんといったTVを見ない私でも知っている役者さんが出演する映画だ。
地域のみなさんが協力して盛り上げようとしている。映画を通して、地域の潤いにつながればと考えているのだ。みんな無報酬で動いている。
ゲームのように楽しんで、思い切ったことを試してみるにはいい機会だ。人生のゲーミフィケーションの練習には最適。人生なんて所詮夢幻のごとく、である。
クラウドファンディングは今のところ目標金額の40%まで来ている。100%を目指しても、私の立場としては、まったくおもしろくない。どうせなら500%とかまで「いっちゃった...」なんて経験をしてみたい。
人生まだ捨てたもんじゃない。楽しくなって来たじゃないか。
おわり
あなたもこの祭に乗っかろう!
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
水元英登より、心をこめて
追伸:
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明日もがんばれる気がします。あなたが決めてください。