絶望の中国出張記 #2 無限飲酒編~緊急搬送~
悪夢の夜が始まった。
これまでの経緯↓
人生で忘れない夜は?と聞かれたら間違いなくこの夜を思い出す。
前回、始皇帝から宴に呼ばれた僕と岡部さん、通訳のミンミンさんは夜の7時ホテルの宴会場に向かった。
そこで我々を待っていたのはザ・中華料理な円卓とその上を埋め尽くす料理、そして中央に鎮座する双対の赤い馬だった
既に工場含むマネージャー一同が待っており入室と共に歓迎された。
正直、悪い気はしなかった。
こちらとら社会人3年目、飲み会の度に上司や先輩へ酒を注ぐ日々だ。こういう時くらい良い思いをしてもバチは当たらないだろう。
まあまあ君たち落ち着きたまえと片手を上げながら、促されるままに席へ座った。
我々が座ると全員着席した。しかしそのまま料理には手を付けずにソワソワとしている。
隣を見ると、明らかに他よりも背もたれが長い椅子が置いてあった。
嫌な予感がした。
15分後、予想通り始皇帝(牛さん)が現れた。そして当然のように僕の隣に座った。
その瞬間、場の空気が変わるのを、確かに感じた。
何だか怖くなって横の岡部さんを見たが、彼女はミンミンさんと談笑していてこの異様な雰囲気に全く気が付いていない。もはや自分の身は自分で守るしかないのだと覚悟を決めた。
そしてホテルのボーイが入室し、全員のグラスに水を注ぎ始めた。
それを見た瞬間、急に笑いを止めた岡部さんが隣でボソッとつぶやいた。
「死ぬど」
確かに海外で水にあたることはよくあるけど、ここはそこそこ良いホテルだし大丈夫でしょ。心配性だなあと思い岡部さんにその旨を伝えると、「違う死ぬのは私じゃない、君やで」と唐突に死刑宣告を受けた。
意味が分からず訳を聞くと、どうやら今グラスに入ったのは水ではなくパイチュウ(白酒)というジャガイモなどの穀物から作ったお酒らしい。
アルコール自体は何の問題もない。こう見えて僕は割と強い方なのである。
問題はその度数で、一般的に40度あるらしい。
それがグラスに並々と注がれている。当然、氷もなくストレートである。
しかも普通はおちょこサイズで飲むらしいのだが、目の前にあるのは明らかにワイングラスである。
#1でも記載の通り、岡部さんはほとんど飲めないため、必然的に僕が飲み役に徹する必要がある。
戦慄する僕をよそに始皇帝の挨拶が始まった。ミンミンさんが通訳してくれたが、頭に入って来ず、いかにこれからの時間をやり過ごすかを考えていた。
しかしアイデアは思い浮かばず、始皇帝の「乾杯(カンペイ)!!」の言葉と共に長い夜が始まった。
まず文化として、中国ではカンペイをすると互いに酒を飲み干さなければならないらしい。その場の全員が一口でグラスのパイチュウを流し込んだ。
味はというと、これが意外にもフルーティーで甘みがあるし悪くない。クセのある匂いも慣れればなんとか大丈夫そうだ。
しかしやはり度数が高すぎる。飲んだ瞬間、体が熱くなり喉から胃に液体が下っていくのが明らかに分かる。
自分のキャパと照らし合わせて計算しても5杯が限界であると瞬時に脳内計算した。
そこから食事タイムに移り、通訳を介して談笑しながらおいしい料理に舌包みを打った。
しかし少しでも場に沈黙が訪れると、仕切り直すために始皇帝がカンペイ!!と叫び、その場で一気する流れになっていた。
開始30分で既に3杯のパイチュウを摂取していた。
計算上、このままいけば自分は開始1時間を待たずしてリタイアの羽目になる。
こうなれば沈黙を作らせないことが大切だ。しかしここで重大な問題が発生した。
通訳のミンミンさんが酔いつぶれたのである。
正確には起きているのだが、「む~~ん」と言いながら虚空を見ている。
助けを求めて隣の岡部さんを見たが、一心不乱に小籠包を食べている。
隣の始皇帝がモゾモゾし始めた気配がする、まずい「アレ」が来ると思い、助けを求めて工場長の方を見た。
「ワカッテル、大丈夫アルヨ」そんな顔をして工場長は僕を見て、ほほ笑みながら小さな声でカンペイッと言った。
何もわかっていない。
別に僕は寂しくてお前を見たんじゃない。
そして飲まされる4杯目、そろそろ視界がグニャアとなってきた。
そこからは大学で付け焼刃で勉強した中国語と英語を使い、とにかく間を作らないように必死だった。
しかし、飲み会は既に始皇帝とか関係なく誰かと3秒目が合うとカンペイされるフェーズに入っており、ベロベロに酔ったせいで開始1時間後にはこちらから皆にカンペイしに行くありさまだった。
そうすると自然とグラスを握る手も強くなる。それに反して現地のガラスは作りが脆い。
空になったグラスを机に叩きつけるたびに持ち手の細い部分が毎回ポキンポキンと折れていった。
もう何時間、何杯飲んだのか、自分が何語を話しているのか分からない中、パイチュウを注ぐボーイのボトルをふと見て固まった。
60度と書いてあるのだ
ただでさえ想定外の飲酒量にこの度数。しかも翌日は大事な監査である。
その瞬間、何もかもどうでもよくなった僕は全員に対し何度目か分からないカンペイを絶叫し、一気飲みし、勢いよくグラスを机に置いた。
またもやグラスが割れる音がしたが、今度は体に違和感があった。
下を見ると右手のひらから見たことがない勢いで血が噴き出していた。
流れていたのではなく、噴き出していた。
どうも酒で血がたぎった状態で運悪くグラスで手をざっくり切ったらしい。
僕はボーっと鮮血に染まっていく右手を見つめていた。
隣で岡部さんが何か叫んでいたが言語すら理解できなかった。
するとTシャツ姿の屈強な男二人が入室し、僕は廊下に連れていかれた。そのまま外まで運ばれ、大きな黒い車に乗せられた。
人は死を意識すると冷静になるというが、自分もそうだったらしく次第に酔いが冷めてきた。
血に染まった時計を見ると既に24時、病院なんて空いてるわけがない。
そもそもこの街に病院なんてあるのだろうか。
このまま死ぬのは阿呆すぎる。
未だ何も成していない。
結婚したかった。
親孝行もだ。
さよなら。
再見。
だんだん意識が遠のいていったその時、民家の前で車が止まった。
扉を激しくノックするドライバ―、すると、明らかに不機嫌そうなパジャマ姿の老人が出てきた。
何やら言い合った後に何かを合意した彼らに連れられて僕は家の中に入っていった。
どうやら民間の個人病院を営業時間外に無理やり空けてもらったらしい。
気が付いたら部屋の中で医者と二人きりになっていた。
とりあえず血をふき取ってもらった所、どうやら出血箇所は人差し指の根本であることが分かった。
動脈でなくてホッとして前を向くと医者が震える手で針と糸を持っている。
その針は明らかに消毒しておらず、医療用にしては明らかに太かった。
しかも相手は寝起きの医者である。そもそも医療資格を持っているのかも怪しい。これで縫ったら感染症にかかり、指を切断するリスクの方が大きい。
瞬時にそう判断した僕はNo sewing!No sewing!と絶叫した。
そしてジェスチャーで指を包帯で包み止血するようお願いした。
思いが伝わったのか、言うとおりにする医者。せめて消毒剤くらいは付けて欲しかったが文句は言えない。
そこからの帰りの車で僕は意識を失った。
気が付くと朝になっており、自室のベッド脇の床で目を覚ました。
頭だけでなく全身が痛い。ガチガチに包帯を巻かれた指は感覚がない。
何とか出発の準備をし、ロビーで岡部さんに会った途端「いや~生きとったか自分」と初めて心配された。
聞くところによると、あの後ホテルに帰った僕は宴会場に戻り「血で酒が抜けた」と言いながらパイチュウを飲み始め、それを始皇帝はじめ全員で取り押さえたという。
最終的には捉われたグレイ型エイリアンの様に両手を支えられ部屋のベッドに運ばれたらしいが、全く記憶がない。
流石に大げさではないか。そもそも記憶にある昨日の出来事はどこまでが本当だったのかも怪しい。
そう思いながら二日酔いで痛む頭を抱え、チェックアウトを済まして振り向くと、何やら床が汚れている。
良く見るとそれは、エントランスまで続く血痕の後だった。
それはさながら、対象年齢R18のヘンゼルとグレーテルである。
昨日の事は全て真実であることを認めざるを得なかった。
そしてその瞬間、点と点が全て繋がり、恐ろしい仮説が浮かび上がった。
昨日の宴会は全て、今日の監査をうやむやにするための布石だったのではないか。
我々が始皇帝に出会った時点で負けは確定していたのではないか。
岡部さんは食べ過ぎでおなかを壊しているし、僕とミンミンさんは未だ二日酔いの地獄にいる。
監査に向かう上で最悪のコンディションである。
しかしこちらも会社にレポートを提出する必要があり、場合によっては自分の顧客にも迷惑が掛かるため手は抜けない。
君たちの思い通りにはならないぞと心に決め、始皇帝の待つ工場へ向かうべくエントランスへと向かった。
それは文字通り血塗られた道であり、これから起こる出来事を暗示している様だった。
ふと、この血をたどれば昨日の病院までたどり着けるんじゃないかという考えが頭をよぎったが、プラスチック臭漂う風に背中を押され、車に乗り込んでしまった。
そして僕らは始皇帝の待つ工場へ向かった。
#3に続く
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