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未だ来ないものをつくっていく

秋に、ちょっと落ち着いた頃、1日だけ京都を訪れました。

着いた夜は生憎の天気で、観光客もいない京都は、まったくいつもとは違っていました。

八坂神社の入り口あたりを歩いていると、ふと想像していなかった光景が現れました。

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四条通を見下ろして、鳥居に囲まれた小さな舞台、反射する雨、街灯はサスライト、車がホリゾントライト。知らないうちに、何気ない場所を舞台に変えてしまう。写真にはそんな力があります。

こんにちは、水落です。劇団ノーミーツで映像演出や空間美術のディレクターをしています。

見方を変えれば世の中はもっと面白くなる。

今日は、いつの間にかオンラインという非日常な日常を、舞台に変えてしまった劇団ノーミーツと、しばらく舞台から離れていた自分が、これまた変な縁から関わり合うようになった話をしたいと思います。

※このnoteは劇団ノーミーツ1周年記念企画「劇団員24人全員がnote書く」のひとつです。劇団ノーミーツ映像美術ディレクターの水落が書いています。その他の劇団員のnoteはこちら

さて1年前、

正直、1年前の4月9日に何をしていたか?なんて考えても、全然覚えてないです。たぶんいつものように飯食って仕事をして寝た日だと思います。つまらないですね。緊急事態宣言が4月7日に発令され、リモートワークとなった私は、大体の人がそうであったように、いつもと同じ、けれどちょっと異常な春を迎えていました。

私はとあるカメラメーカーのエンジニアであり、個人としては、アーティストとして活動していたりします。

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空間演出をしたり、その昔は自分で劇団を立ち上げて舞台美術をつくったりしていましたが、最近は舞台に触れる機会も少なくなり、舞台の演出よりも、音楽ライブの映像演出だったり、美術館などに作品を展示する機会の方が多くなっていました。

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さて、そんな4月ですが、当然演出する舞台も、作品を展示して観にきてもらう機会もなくなり、この時期私はノーミーツとは全く関係ない所で、演劇をする訳ではなく、こんなものをつくっていました。

zoomで遊べる顔をつかったホッケーゲームです。見た目の分かりやすさ、プライバシーを保護しているかのような目線のバー、顔をボールにされてしまうというシュールさから、大きな反響がありました。

遊びたいという声を沢山頂き、アプリ化して公開したり、体験会を開いたり等しましたが、当の本人はゲームを楽しんでいるというよりは、大真面目にこの作品を作っていました。

似たようなことをその2年前にもやりました。これは2018年に制作した、スマートスピーカーに質問して特定の単語を喋らせるゲームです。

どちらも、zoomのコミュニケーションのやりづらさや遅延の問題、スマートスピーカーの音声認識の精度やAIの思考能力など、テクノロジーの現状の課題をテーマにしています。そんな既存のテクノロジーを、ちょっと別の方向から見るような作品を幾つかつくっています。

顔ホッケーをつくったのは、オンラインのコミュニケーションが、私たちを枠に閉じ込め、思った以上に凝り固まった形を強いている現状を表現するために制作しました。そして、現状を憂うだけでなく、コロナ禍で、不自由な生活を強いられる中で、現状を逆手にとってポジティブに作品化することには、大きな意味があるんじゃないかと考えた訳です。

そんな時、リアルでできなくなったエンタメをオンラインで試みる団体が複数現れ始めました。その存在に気づいたのは、こちらのツイートだったような気がしています。

ノーミーツもそのうちの1つでしたし、劇団テレワークさん、学生の頃から知っていたカムヰヤッセンさんなどもありました。中でも、作品を見ていて新しい可能性を感じたのが、4月10日に行われたSCRAPさんの「のぞきみカフェ」Youtube支店でした。

オンラインならではの、webサイトやチャットを使った仕掛けが、リアル脱出ゲームにあるドキドキ感を作り出し、新しいエンタメの形を見た気がしました。一方で、やはり元々生の演劇をやっていて、観ていた身としては、やはりオンラインがリアルに及ばないという限界も一部の面ではあるように思えました。オンライン演劇なるものは、一時のコンテンツであり、緊急事態宣言が明ければまたエンタメはリアルに戻っていくだろうと。まあ今だけかなーなんて思っていた訳です。

そこへ来てのノーミーツです。ノーミーツとの最初の出会いは、長編公演第一作の門外不出モラトリアムでした。それまでの短編もどこかで観てはいましたが、まともに意識して観たのはこの長編が初めてになります。

さて、ノーミーツ、どうなんでしょう。もう名前からして期間限定感満載です。なので、この作品をみようと思った理由は「今しかオンライン演劇ってなさそうだし観とくかー」というモチベーションがほとんどだったように思います。緊急事態宣言中の状況で、この作品を観た人の中には、そういった今しかあり得ないものという希少性からチケットを買った人も多いのではないでしょうか。

ただ一方で、プロモーションビデオを見た時、それだけではないオンラインエンタメに対する本気度を感じたのも事実です。

さて、そんな私とノーミーツを繋いだのは1通のメッセでした。元々ノーミーツのメンバーであるオギユカさん@ogiyucaが、公演に誘ってくれたのが 5月29日、公演の2日前でした。先ほどの理由ですでにチケットを買っていたのですが、彼女は顔ホッケーも見てくれており、同じzoomを使っているコンテンツとして興味がありそうと思ってくれたようです。その時点では、オギユカさんは私が元々舞台をつくっていたことは知らなかったらしく、顔ホッケーが繋いだ縁でした。

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のぞきみカフェや、この公演で感じたことは、演者と観客の距離です。もちろん物理的な距離は、リアルの演劇には敵いません。けれど、このオンラインでの会話は、演者同士のコミュニケーションにもかかわらず、演者と全観客の目が合います。ドラマや映画の映像では大体の場合こうなりません。画面の向こうから語りかけてくるような、観客の懐に入ってくるような感覚は、リアルのそれよりも強い可能性があるのです。それに、冒頭の京都の写真のような、普通の場所が舞台になるという感覚も、見立てる演劇の面白さとリンクする部分がありました。

その頃、オンラインで映像配信するOBSというツールを知り、今までの編集ありきの映像の世界とはまた違う可能性を感じ、リアルタイム映像演出に興味をもつようになりました。

最初にOBSを使った実験は、カメラ映像自体にエフェクトをかけるのではなく、枠としてアニメーションをつけられないかというものでした。

この実験と顔ホッケーはオギユカさん経由でノーミーツのメンバーに共有され、ちょうど第二回公演にむけて映像技術のアップデートをしたいと思っていたメンバーと話が合い、一緒に公演をつくることになりました。

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そうして完成したのが第二回長編公演『むこうのくに』です。OBSやフィルターの力を最大限に活用したこの作品は、より多くの人に観て頂けることになりました。かくして、私は正式にノーミーツのメンバーとして参加させてもらうことになりました。


自分でオンライン演劇をやってみて、気づいたことは、2つあります。

1つは、オンライン演劇は今まで演劇を観られなかった人にもコンテンツを届けられる可能性があること。もう1つは、映画ともドラマとも演劇とも違う新しい映像表現の余地が沢山隠されていること。

むこうのくにを観た人の感想の中に、「昔は演劇を楽しんでいたけれど、パニック障害になったことがきっかけで舞台のような暗い空間にいけないようになってしまった」というコメントがありました。子育てや様々な事情で家を空けられない人も観ることができる以上に、今まで知らなかった、コンテンツに対する障壁をもっている人がいることに気付きました。

コンテンツの障壁をつくるのは、身体的なことだけではありません。文化的環境の格差という言葉があるように、そもそも演劇を観たことがないという人が多くいます。

私自身がそうでした、長崎県の私立中高で勉強をすることしか教わっていなかった私は大学に入って、ようやく文化的な活動にも興味があることに気付きます。それまで美術館などいく習慣は家には全くなく、両親はよく科学館に連れて行ってくれました。お陰様で学問、技術的な素養は十分に育ててもらい、今はその強みをもったまま芸術活動ができています。ただ、もし幼少期からもっと文化的なものに触れる機会があれば、と思うこともありました。

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そういった中で関わらせてもらった、ノーミーツと博多を中心に活動するHKT48とのコラボレーション企画、『劇はじ』は、私にとって非常に意味のある企画になりました。HKT48は、地方に特化することで、アイドルファン層だけでなく、九州各地で活動することで地元の人達との繋がりをもっています。HKTのメンバーの作品作りに協力させてもらえることで、地元長崎九州の人たちに、コンテンツを届けることができる、演劇の面白さを伝えることができる。これは凄く嬉しいことです。

第二回公演の『むこうのくに』への参加を経て、私がノーミーツの劇団メンバーになって最初の作品は第三回長編公演『それでも笑えれば』です。この作品は、オンライン演劇だからこその表現に拘りました。

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物語が観客の投票によって分岐し、最後は観客一人一人が自分で選んだ結末を観ることができるようにした選択式演劇は、他者との人生は選べないこともあるが、自分の人生だけは自分で選ぶことができるというメッセージとリンクし、これ以上に選択できることに意味のある脚本がないものに仕上がりました。

好きな劇作家の一人に、小林賢太郎さんがいますが、彼はエッセイの中で、「完成品を素材にして新しい作品をつくる」ということを意識的にやっているそうです。最初から新しいものを考えるのでは人間1人の頭では限界があるから、一度思いついた話を上演できる形まで完成度を高め、それを一旦放置して、別の作品の素材にするのだそうです。劇中劇にするのかもしれませんし、視点を変えるのかもしれませんが、そうしてできた作品は、今までにない、昔の自分と今の自分の2つの頭を使ってつくった新しい作品になるそうです。

ノーミーツはまさにこれだなと思っています。映画をつくっている人もいれば、演劇をやっていた人もいるし、広告の人もいればエンジニアもいる、オンライン演劇を、リアルのコンテンツに寄せるのではなく、先人達が作り上げてきたフォーマットの完成形を素材にして、新しいフォーマットをつくる。これを常に考えています。

1周年を迎えたノーミーツは、会わないという制約を外し、また新しいことにチャレンジしていくと思います。

ただ私自身は、ノーミーツという言葉が意味のないものになったとは思っていません。

ノーミーツな今の状況が終わったとしても、まだ会ったことのない人と、まだ演劇に出会っていない人に面白さを届けるために、作品を世の中に届けられたらなと思っています。


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