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てぃくる 848 怒りの葡萄

「怒りの葡萄はスタインベックだったっけ」
「そう。搾取するものと搾取されるものの対比を描いた告発的トーンを持つ作品。葡萄は踏み潰され、汁液を絞られる被虐者の象徴とされている」

「なるほど。じゃあ、俺は怒っていいんだな」
「だめ」
「なぜだ!」


あんた、葡萄じゃないし


 まあ、どの時代においても搾取するものと搾取されるものはいるわけで。その落差が小さければ小さいほど平等な社会なんでしょうけど、社会主義国家ですら格差だらけなわけですから、そんなのは画餅です。
 いついずこにあっても怒りの葡萄の世界はあるわけで。搾取される側は自衛しなければなりません。ただ、搾取を避けようとして弱者を組織すると、団結力が強くなるほど今度は搾取する側に回ってしまうことがよくあります。
 自らを葡萄にたとえないこと。自らの立ち位置を、個のレベルでまず考えること。それが必要なんじゃないのかなあと思う、今日この頃です。

 ああ、画像の果実は葡萄じゃありません。アオツヅラフジの果実です。一見美味しそうなんですが、小さく、不味く、有毒です。でも、鳥は好んで食べるんですよ。彼らは食べられることで種子をばらまきますから、鳥に搾取されているとは考えないと思います。


 搾りたての葡萄の汁はおいしいが

 すぐに怒りが泡として噴き上がる

 人はそれを醸造と呼んで尊ぶが
 潰される葡萄の立場なぞ誰も考えない

(2021-10-28)


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