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てぃくる 56 小さな傘

 小さな傘をさしている若い女の人がいた。雨が激しく降っていて、その人は傘をさしているのにずぶ濡れになっていた。

 あなたは、その人のもとに歩み寄って声を掛けた。

「その傘では小さすぎるでしょう。濡れてしまいますよ。私の傘をお貸しします」

 その人はあなたの方に振り返り、少しだけお辞儀をして微笑みながら答えた。

「ご親切に、ありがとうございます。でも、わたしはここで人を待っているんです。彼が大きな傘を持ってきてくれるので、大丈夫です」
「ああ、そうでしたか」

 あなたは余計なお節介をしたかも知れないと幾許か鼻白み、そそくさと女の人から離れた。

 その後黙ってしばらく雨の中を歩き続けたあなたは、ふと。

「あ、失敗した」

 そう思った。

 もしあなたが「お貸しします」ではなく「差し上げます」と申し出れば、傘は受け取ってもらえたかもしれない。
 決して下心があって口から出た言葉ではなく、傘が返して欲しかったから言ったわけでもない。なんとなく……貸すと言ってしまったのだ。

 あなたは足を止め、踵を返す。

 だが先程の場所に、すでに彼女の姿はなく。あなたは、小さな傘から滑り落ちた雨で……ずぶ濡れになっていた。


放られし破れ傘凍みて冬時雨

(2013-12-02)

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