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てぃくる 858 忘れられている?

 君は忘れられていてかわいそうだねと言われることがある。その度に首を傾げてしまう。

 確かに忘れられているのかもしれないが、私が私自身を忘れ去ったことは一度もない。自ら考え、感じ、行動する。日々繰り返すたゆまぬその営みの中には、他者に覚えておいてもらうという概念が入っていない。だから、困ることも寂しく思うこともない。

 決して一匹狼を気取ったり、他者を排斥してまで己にしがみつこうとするつもりはない。だが事実として、誰かに覚えておいてもらわなくても特に不自由を感じないのだ。


 まあ、それでも。年に一度くらいは存在を誇示してみたくなる。
 誰かに覚えておいてくれよと訴えるつもりはない。その時だけでも明るく輝けば、己の価値を忘れることはないだろう。

◇ ◇ ◇


 一昨年の台風被害のあと、かなりの数の樹木が枝折れや倒伏を理由に伐去されました。木立に埋もれるようにして花を掲げていたエドヒガンの大樹もきれいさっぱり無くなり、ありし日の写真と記憶だけがほんのりと辺りに漂っています。
 わたしはその木をよく覚えていますよ。作話のネタにもしましたからね。でもわたし以外のほとんどの職員は、花時以外全く目立たない桜の存在に重きを置いていなかったはず。退場後はすでに忘れ去られています。最初からそこには何も存在しなかったかのように。

 一方、誰にも気づかれぬまま毎年鮮やかな紅葉を見せる細っこいヤマモミジが、消え去った桜のすぐそばにひっそり生えていて。僕は最初から忘れられた存在なのでこれでいいんだとばかりに、いつの間にか照り映えています。

 桜にしても紅葉にしても。彼らはわたしたちに覚えてほしくて己を彩るわけではありません。彩るのは彼らにとっての摂理なのです。
 万物の長を自惚れている我々の命脈が尽きて木々を知るものが誰もいなくなったあとも、彼らは変わらずにずっと存在し続けることでしょう。彼らの寿命はわたしたちよりずっと長いのですから。


また一つ歳暮リストのレ点減る

(2021-12-07)


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