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近代化に向けて

 昨日の記事では、徳川幕府の長い支配からの解放をめざして藩士達が奮闘し、政権を天皇に返上する大政奉還を成し遂げた歴史をまとめました。
 今回はどのようにして今の日本の法律が出来上がってきたのかを勉強したのでまとめます。学校の歴史の授業で聞いたことある単語ばかり出てきましたが、内容や背景などを解説しなかまらまとめてみます。


①明治維新と近代化に向けて

 1868年の明治維新により、徳川幕府は倒され、日本は天皇を中心とする新政府のもとで近代国家の建設を目指しました。

 この時代は、政治、経済、社会の大規模な変革期であり、西洋の技術や制度を取り入れて国力を強化し、国際社会での地位を確立しようとする動きが強まりました。

②中央集権体制を目指して

 新政府は、権力を一つに集中させる中央集権体制を強化し、国家の富強化と軍事力の増強を図りました。これにより、以下のような改革が行われました。

・廃藩置県(1871年)
⇒全国の藩を廃止し、県を設置して中央集権体制を確立。
・地租改正(1873年)
⇒土地の所有者に対して地租を課し、安定した税収を確保。
・徴兵令(1873年)
⇒全国民に対して兵役義務を課し、近代的な軍隊を編成。

③経済の近代化と産業振興


政府は経済の近代化を推進し、産業振興を図りました。

・殖産興業政策
⇒西洋の技術を導入し、工業化を推進。
・鉄道の建設
⇒交通網の整備により、国内の物流を活性化。
・教育制度の整備
⇒近代的な教育制度を導入し、人材育成を図る。

④内政と外圧


 国内の政治体制を整える一方で、日本は西洋列強の外圧に直面していました。列強諸国との不平等条約を改正し、対等な外交関係を築くためにも、近代的な憲法の制定が必要とされました。

・不平等条約の改正
⇒不平等条約の改正を目指し、法制度や行政機構の近代化を進める必要がありました。
・西洋諸国の制度導入
⇒西洋の法制度を参考にして、日本独自の近代的な法体系を整備することが求められました。

⑤伊藤博文の憲法調査


 1880年代、伊藤博文が中心となり、憲法の調査と起草が進められました。伊藤博文はヨーロッパに赴き、ドイツやオーストリアの憲法を参考にしながら、日本に適した憲法を模索しました。

⑥大日本帝国憲法の制定


 1889年2月11日、明治天皇は大日本帝国憲法を公布しました。この憲法は、天皇を国家元首とし、立憲君主制を基礎とした政治体制を確立するものでした。憲法の主な内容は以下の通りです。

・天皇主権
⇒天皇が国家の最高権力者とされる。
・立憲政治
⇒内閣や帝国議会などの制度が設けられ、立憲政治が実現。
・基本的人権
⇒一定の範囲で国民の権利や自由が保障されるが、天皇の権威が優先される。

⑦まとめ

 この時代の日本は、外国からの圧力に対応するべく、国を強くすることに専念していたことが分かりました。近代化に向けてかなり歩みを進めた時代なんだと知ることができました。

 次回は終戦後から現代にかけて憲法がどう変わったのかを調べてみようと思います。

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