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自分を縛るもの

幼少期いつも一緒にいた明治生まれ戦争引き揚げ体験のある祖母は何かにつけて
もったいないと言っていた

新しいタオルを箱から出す時は化粧箱に対してもったいながり
包装紙は必ず切ってメモ帳にした

きっと生活のそこかしこがそんな風であった

おかげで私は未だに空き箱や包装紙を捨てる事に躊躇する
娘達が工作に使うと言うと嬉しくなり
要らないと言われると申し訳ない気持ちになりながら捨てる
心のどこかで
おばあちゃんごめんなさい
なのだ
 
そんなもったいながりではあるが
ドラッグストアやネット販売のポイントやらチラシの安売りなどには皆目心動かず
お金を使うのは自分のタイミングばかり
夫に促され気をつける程度止まりである

損か得かでいえば
損はしていないが得もしていない事の方が多そうだ

損得について考えた場合私はさておき
母は全くもったいながりではないし、そそっかしく短絡的で明らかに損が多い様に見える
計算高くない以前にそもそも計算ができないように見える
こと、人間関係においては特に
自分に対して誠実といえば誠実だが無自覚に他者を傷つける場合もある

父は分かりやすく誠実で優しく、他者を傷つける事は多分なかったが、実直すぎて上手いこと立ち回れないタチであった

不器用なふたり

そんなふたりが好きなおかげか
私はより得を求めるために行動する事に喜びを感じないし関心も持てない
得のために調子が良い人も苦手である

とここまで考えたところで
母の、得を自ら振り払う様な部分も思い出され
もしかしたら私は得するのは良くないこと、と言うような偏った考えに縛られているのではないかとも思えてきた

昔、新聞屋さんがあれこれくれるという提案に対して
物で釣ろうなんて人を馬鹿にしている下品だ
と、一切のサービスを断った上で契約した様な母である
まあそれもそんな気分だったのか
普通にサービスして貰っていた時もあるので
気分により極端な人なのである

媚びへつらい
というものが母の美学に反するのは理解できるが
お世辞を言うのは苦手だが言われると素直に大喜びするなど
ツッコミ所が多い人である

私は自分に害がない事柄においては面白がれるし寧ろ好きな部分でもある

得に関して
得するのは良いこと嬉しいこと幸せなこと
得をみすみす見送るとはなんともったいない
という風に育てられていたならば
きっと私も純粋にポイントデーに生き甲斐を感じられるタチだったのかもしれない

しかし
単に面倒くさいだけ
で全て片付く話でもある

内容は全く違うしもっと絶対的な事柄についての話だけれど
村上春樹の1Q84がチラッと思い浮かんだ

かと言って今何かを変えたいという気もなく
得より徳に興味を持つに至ってもいない
日々小さな事にもったいながりながら大雑把に生活する中で
出来るだけ
娘達にはフラットな状態でいたいと心がけるばかりである

写真は実家の玄関

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